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生田神社、神戸の中心地でこの街の歴史と由来がわかるかけがえのない甦りの社を訪ねる旅

記事公開日:2016/10/28

神戸・三ノ宮にある朱鮮やかな「生田神社」。この地はかつて源平合戦が繰り広げられた古戦場でもあります。今は繁華街の中心にある生田神社ですが、境内に足を踏み入れた瞬間、荘厳な社殿が姿を現し、その裏手には数百年の楠木が茂る「生田の森」が訪れる人の心を癒してくれます。

生田神社


「日本書紀巻第九」には西暦201年、神功皇后が三韓からの帰途に「務古水門」で船が進めなくなり、そこで神託を立てると「稚日女尊(ワカヒルメノミコト)」は「活田長峡国(いくたながをのくに)」に居たいと申され、それからこの地に祀られたと伝わります。

 

「稚日女尊(ワカヒルメノミコト)」は若く瑞々しい女神で、天照大神の和魂(にぎみたま)とされ、縁結びの神として生田神社の祭神となっています。

 

生田神社を訪れる地元の人々

 

境内には摂社末社が並び、域外には三宮の地名の由来にもなった裔神八社も

 

生田神社には本殿・拝殿の他に、海上安全の大海神社、酒造の松尾神社、稲荷神社など、14の摂社末社が並びます。域外(神戸市内)には一宮から八宮の「裔神八社」がこの生田神社を囲いますが、その中でも三宮神社は神戸の中心地「三宮」の地名の由来にもなっています。

 

稲倉魂命(ウガノミタマノミコト)を祀る稲荷神社

※写真は稲倉魂命(ウガノミタマノミコト)を祀る稲荷神社

 

伝えられている神戸の地名の由来を知る

 

平安時代の和名集には摂津国八部郡神戸(かむへ)郷とあります。神戸とは「神社に租税を納める民戸」を表し、大同元年(806年)に朝廷から生田神社に神戸44個を封充されたと言われ、それが神戸の地名の由来と伝わっています。

 

「戸」とは律令制度における租税を納める単位で、1戸には20人程度が含まれていたと推定され、生田神社の地域には数百人ほどの集落があったと見られています。

 

平安時代から知られる「生田の森」へ足を踏み入れる

 

平安時代の清少納言の随筆「枕草子」、「森は」に続く「づくし」ものの中には「生田の森」と記されています(枕草子能因本115段)。現在は僅かに生田神社の裏側に残されているのみの森ですが、この当時、北は六甲山までが繋がっていて、東は生田川から西は大倉山近くまでの広大な森であったと言われます。

 

史跡である「生田の森」に足を踏み入れてみると、繁華街のすぐ近くとは思えないほどの静けさを感じさせます。今も樹齢数百年の楠木が残され、往時は壮大な森であったことを偲ばせます。

 

生田の森は源平合戦が繰り広げられた古戦場

※写真は生田の森。ここは源平合戦が繰り広げられた古戦場でもありました

 

平安時代に強大な権力を握った平氏。当時、平清盛の強権政治に業を煮やした後白河法皇は、源頼朝や義経とともに平氏打倒の戦いを仕掛けます。そして宇治川の戦い後、平氏は清盛ゆかりの摂津国・福原の地に陣を置き、生田の森の東端に大手木戸口を構え、平知盛が防備を固めました。

 

生田の森を歩く

 

そして1184年2月7日の明け方。源範頼の軍5万が大手生田口に攻め込み、ほぼ同時に搦め手の義経軍は一の谷の逆落としで奇襲をかけます。この時一の谷から上がる煙を確認し、範頼は総攻撃を命じます。その後、崩れた平家軍は海へと敗走し、屋島の戦いを挟んで、檀の浦で敗れて滅亡してしまいます。

 

境内に残る、源平合戦の史跡を知る

 

箙(えびら)の梅

 

源氏の若武者であった梶原源太景季が、咲いていた梅の一枝を箙(矢筒)に挿して戦ったと語られる「箙(えびら)の梅」。この梅のいわれを旅人が問うと梶原の亡霊が由来を説くという謡曲、「箙」にも謡われています。

 

境内の史跡を巡る

 

「敦盛の萩」

 

平氏の若武者であった平敦盛は須磨の海岸で討ち死にしてしまいます。そして敦盛の遺児が父の消息を求めてこの生田宮に参詣、玉垣にもたれて見たという夢で亡父に会うことができ、萩が好きな敦盛を偲んだと言います(謡曲「生田敦盛」)。

 

さらに武蔵坊弁慶が源義経の代拝として、平家打倒と源氏の繁栄を祈念して奉納したという「弁慶の竹」や、梶原源太景季が水を掬って生田の神に武運を願ったという「梶原の井」などの史跡が今も境内に残されています。

 

境内の狛犬

 

境内に残されている大災害の歴史

 

安政の東海・南海大地震で崩壊した鳥居

 

安政元年(1854年)、南海トラフの「安政の東海・南海大地震」で、西国街道沿いの石鳥居が崩壊。今も当時の礎石と鳥居の笠木(上部分)が史跡として残されています。

 

神戸空襲で焼けた楠の神木

 

また、昭和20年(1945年)6月の神戸空襲で焼けた「楠の神木」も。約500年の年輪を重ねたこの神木は力強く蘇って再生。再起・合格・復活・復興の象徴として信仰されているとありました。

 

再築された第二鳥居

※写真は再築された第二鳥居

 

災害復興がつなぐ伊勢神宮との縁

 

さらに平成7年(1995年)の阪神淡路大震災では石造りの第二鳥居が崩壊。その後鳥居は伊勢神宮の式年遷宮後の古材を譲り受けて再建され、当時は「復興のシンボル」と評判にもなりました。しかし、気がつけばその震災からも20年の時が経過。昭和4年の伊勢神宮時代からの積算で考えると古材も86年が経ち、老朽化が目立っていました。

 

そこで生田神社は「再び鳥居を譲り受けたい」と伊勢神社に依頼し、2015年9月に再度設置されました。「震災を機に生田さんとお伊勢さんを結び付けてくれた」という絆が、また再びここに繋がれました。

 

本殿で行われていた七五三の祈祷

※写真は本殿で行われていた七五三の祈祷

 

この生田神社は有名人の結婚式の場としても知られ、「縁結び」「恋愛成就」などの御利益で有名です。その一方で安政の大地震や、昭和の神戸大水害、戦時の神戸大空襲、阪神・淡路大震災など、何度も災害の被害に遭ってきた歴史があります。

 

そんな歴史を経て近年は、災害の度に不死鳥のように復興を遂げてきた事にちなみ、「甦りの社」とも呼ばれて敬されているのだそうです。

 

今回訪れた兵庫・神戸旅のスポット

 

名称:生田神社
住所:兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1
アクセス:JR三ノ宮駅より北へ徒歩約10分

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

 

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