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夫婦の和合と長寿を願う謡曲・高砂、そのモデルの地を訪れ、受け継がれる相生松を知る旅

記事公開日:2016/04/26

能の演目や、結婚式の謡(うたい)としても有名な「高砂」。この高砂は兵庫県にある高砂の浦がモデルとなっていると言われ、結婚式においては夫婦の和合や長寿を祝い、願うという意味もあります。今回はこの高砂のモデルとなった地を訪れ、そのルーツを知るとともに、今も受け継がれている相生の松をご紹介していきたいと思います。

高砂神社の境内


高砂神社の始まりは、神功皇后が外征から帰国する途中で鹿子水門(かこのみなと)に停泊され、国家鎮護のために大己貴命(おおなむちのみこと)をこの地に祀った事にあると言われます。そして結婚式の祝いの謡としても知られる「高砂」は、この地の「高砂の浦」がモデルとなっています。

 

「高砂や、この浦船に帆を上げて、この浦船に帆を上げて。月もろともに 出で汐の 波の淡路の 島蔭や、 遠く鳴尾の 沖過ぎて はや住の江に 着きにけり、はや住の江に 着きにけり」

 

かつての結婚式では、必ずと云われるほどに謡われていたこの謡曲は、父の観阿弥とともに能の芸術性を飛躍的に高めた天才、世阿弥の代表作であり、能「高砂」の待謡の小段部分です。

 

ご神木いぶき

※九州阿蘇から来た神官「友成」の杖から生まれたと伝わる「ご神木いぶき」

 

謡曲「高砂」に込められた物語

 

九州、阿蘇から来た神官が播磨国の名所「高砂の浦」を訪れます。そこで松の木陰を掃き清める老夫婦(尉と姥)に出会い、松の謂れを聞きます。二人はこの高砂の松は、遠く離れた住吉の松と合わせて「相生の松」と呼ばれ、夫婦の長寿のめでたさを祝福していると言う。そして自分たちは相生の松の化身だと告げ、住吉での再開を約して去っていく。この後に神官は住吉の地で明神に出会います。

 

高砂神社の絵馬

 

「尉と姥」はイザナギ・イザナミが神霊を宿した松の精であり、姥は箒で掃き清め、尉の熊手で福を掻き集める縁起で、夫婦和合と長寿を祝い願う象徴だとされます。

 

世阿弥は「古今和歌集」で、紀貫之が和歌の心得などについて書いた「仮名序」の一節、「高砂、住の江の松も、相生のように覚え」を題材にし、能「高砂」を創作します。松は古来、長寿のめでたさを象徴し、松の雌雄が夫婦(めおと)を表していて、祝言を挙げた夫婦がともに長生きできるようにという願いを込めて結婚式で謡われてきました。

 

5代目「相生の松」

※5代目「相生の松」

 

この高砂神社にある「相生の松」は、江戸時代の初期、姫路城主であった本多忠政(千姫の義父)の時代に3代目が継植されました。その後の大正13年(1924年)には国の天然記念物にも指定され、樹齢300年を重ねた後、昭和12年に枯死しています。現在の相生の松は、秩父宮妃殿下御命名の5代目がその歴史を受け継いでいます。

 

3代目「相生の松」の霊木

※写真は霊松殿に納められている3代目「相生の松」の霊木

 

本殿の内部

※本殿の内部

 

姫路藩主の池田輝政と本田忠政は、高砂の町作りにも注力した

 

高砂城跡の碑

※高砂神社の境内にある「高砂城跡」の碑

 

天正6年(1578年)に秀吉軍の三木城攻めが始まり、梶原景秀の高砂城は河川からの兵糧供給の要として攻められ、落城してしまいます。そしてその戦火の中で「相生の松」も焼かれたと言われます。

 

その後の慶應6年(1601年)、姫路城主の池田輝政が高砂神社の場所に高砂城を再建し、海の守りとします。また、加古川河口の東側は砂の堆積で港が浅くなり、停泊港としての支障が出ていたため、池田輝政は堆積が少ない西岸(高砂城側)に新たな町を作ることを決めます。この同年に輝政は、「移り住んで、砂浜を開作する者は諸役を免ずる」という通達を出し、町作りを推進して行きました。

 

高砂神社の本殿

 

また、元和3年(1617年)に姫路城主となった本多忠政は、「一国一城令」で高砂城を廃城した後、寛永2年(1625年)に高砂神社を元の場所に再建、この時に相生の松の後継樹や社領三十石を寄進しました。そしてさらに計画的な町割整備を行っていき、地の利を活かした物資の集散地、また商業の交易拠点として、この地を大きく発展させていきました。

 

能舞台「神遊殿」

※能舞台「神遊殿」

 

高砂は古くから、白砂青松の風光明媚な景勝地

 

最古の和歌集である「万葉集」では、柿本人麿がこの地の名歌「稲日野も行き過ぎがてに思へれば 心恋しき可古の島見ゆ」を詠んでいますが、歌の中に出てくる「可古の島」は加古川の河口付近と言われます。その他にも高倉上皇や後醍醐天皇も、この地を訪れていたと伝わります。そして江戸時代の寛政7年(1795年)には、旅の途中で訪れた小林一茶が、高砂の曽根天満宮で「散り松葉 昔ながらの 掃除番」と詠んでいます。ここは古来から近世に至るまで、有名な景勝地であったことがうかがえます。

 

加古川東岸には、尾上(おのえ)神社も建つ

 

尾上神社

 

現在の高砂神社の対岸には尾上神社という神社もあります。ここには「尾上の松」という、古来からの相生の松が残されていて、現在7代目の松として大きく枝を張っていますが、既に次世代の松の養育も行なっていて、美しい松を継承していく活動も進められています。

 

生き生きとした相生の松

 

加古川の河口付近

※加古川の河口付近

 

代々受け継いでいきたい、白砂青松の浜辺と長寿を願う相生の松

 

現在の高砂の遠浅の海岸は、一部で埋め立てが進み、工場も増えていますが、河口付近は高砂海浜公園として整備され、伝統の松林や砂浜が保護されています。ここは「日本の白砂青松100選」にも選ばれていて、古くからの美しい松と砂浜を未来に伝えていきたいという取り組みも続けられています。

 

万葉集にも歌われた白砂青松の浜辺、そして長寿を願う相生の松、これらを今後も代々、受け継いでいけたらいいものだと、改めて感じる高砂旅でした。

 

今回ご紹介した兵庫・高砂旅のスポット

 

名称:高砂神社
住所:兵庫県高砂市高砂町東宮町190
アクセス:山陽電鉄高砂駅より徒歩約15分

 

名称:尾上神社
住所:兵庫県加古川市尾上町長田518
アクセス:山陽電鉄尾上の松駅より徒歩約9分

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

 

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