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石垣に注目すれば城巡りがもっと楽しくなる。姫路城に見る石垣の楽しみ方

記事公開日:2016/06/06

世界に誇る日本の歴史遺産の1つが「城」。壮大で美しい城の天守は魅力的であり、今も多くの観光客を惹きつけています。そして城の天守の建物と並んで重要なものが、城郭の構造物を支えている「石垣」。一見すると地味な存在ではありますが、実はその見所も多くあります。そこで今回は、普段注目される事が少ない石垣に注目し、よりマニアックな城の歩き方と楽しみ方を知る旅へとご案内します。


姫路城

姫路城の築城の歴史で知る「石垣」の存在

 

古来から土地の境界や防護のための壁として組まれてきた「石垣」。その石垣も戦国時代から近世になると、防衛機能の強化とともに、敵を威圧するための力の象徴としても進化してきました。今回は築城から40人以上もの城主が継ぎ、築城からの歴史が残されている貴重な城郭の1つである姫路城を巡り、石垣の奥深い世界をご紹介していきたいと思います。

 

姫路城の石垣は大きく3つの世代に分類できる

 

第1期:羽柴秀吉の時代(天正8~9年 1580年~1581年)

 

自然の石をほぼそのまま積んだ「野面積み」の石垣

 

これはお菊井戸の「上山里」の下段にある石垣で、自然の石をほぼそのまま積んだ「野面積み」で、2段になった古式の石垣です。秀吉は黒田孝高を普請の責任者として姫路城を改修し、それまでは砦に近い城塁であった場所に、初めて本格的な石垣と当時としては目新しい三重の天守を築造し、中国攻めを貫徹する強い意思を、この姫路城の普請に込めているとも言われます。

 

第2期:池田輝政の時代(慶長6~14年 1601年~1609年)

 

「打込みハギ」の石垣と「落し積み」も混じる乱積み

 

関が原の戦いで武功を挙げ、播磨52万石の城主となった池田輝政は、8年もの時をかけて姫路城を大改築し、地下1階、地上6階の大天守を造りました。この時の天守の石垣は、隙間が少なく加工した石を使う「打込みハギ」で、角を下にした「落し積み」(谷積み)も混じる「乱積み」で美しく組まれています。

 

家康からの恩賞によって城主となった池田輝政ですが、城の改修時には秀吉時代の石垣も多く残しています。これは他城の普請で忙しかったこともあるようですが、一説には秀吉への恩顧があったのではないかとも言われています。

 

第3期:本多忠政の時代(元和4年頃 1618年)

 

本多忠政時代の「打込みハギ」の石垣

 

そして大坂夏の陣の後に姫路城主となった本多忠政は、西の丸に「打込みハギ」の石垣を組んで整備しました。また、大坂城の炎上で傷心した息子の嫁、「千姫」を癒すために、化粧料10万石で「化粧櫓」も造築しています。

 

姫路城の石垣に残されている「鏡石」の意味

 

城の石垣には「鏡石」という大きな石を意図的に配置することがあります。これは城主の威厳や経済力の誇示、呪術的な意味など、その理由は様々です。

 

「人面石」とも呼ばれる「鏡石」

 

姫路城の上山里から下る「ぬの門」の右側には、目と鼻に眉毛もがあり、通称「人面石」とも呼ばれている「鏡石」があります。これには睨みを利かし、邪気を祓うという呪術的な意味があるのではないかと言われています。この複数の石での鏡石は珍しく、分かりやすい石組みでもあって稀有な事例です。

 

鏡石の左側にある「ハート型の石」

 

ちなみに姫路城の鏡石の左側には「ハート型の石」があり、スマホの待ち受けにすると良いことがあるという話が広まり、ちょっとした人気スポットにもなっています。

 

刻印が残る石垣もある

 

石垣の中には石材の提供者や石組み者などの区分のために、刻印された石もあります。姫路城の場合には何十種類もの刻印が見つかっているそうです。この刻印は目立たない場合が多いのですが、珍しい刻印を探すのも、石垣を見る際の楽しみ方の1つとなっています。

 

大手門左側の石垣にも注目

 

姫路城入り口、「大手門」(旧桐二の門)の左側、一番上の石には、「斧(おの)」の形が刻まれた石垣があります。これは恐らく、石工たちの符牒の1つであったのだろうと言われています。うっかりすると見過ごされがちですが、珍しい絵柄でとても貴重な刻印です。元は「総社門」にあり、「斧(よき)の門」とも呼ばれていました。

 

斧の形が刻まれた石垣

※写真は斧の形が刻まれた石垣

 

五芒星(清明紋)の形が刻まれた石垣

※写真は五芒星(清明紋)の形が刻まれた石垣

 

また、西の丸の「化粧櫓」の石垣には「五芒星(清明紋)」の刻印があります。これは西の丸から見た場合の、北東の鬼門の魔よけと言われますが、昭和の大修理で別の場所から移動されたとも言われ、その意味や由緒は未だに謎のままです。

 

石垣の高さや曲線にも注目すると面白い

 

「帯の櫓」東面の石垣

※写真は姫路城の東側、「帯の櫓」東面の石垣(第2期、池田輝政時代)

 

この石垣は、高さが23.32mという姫路城で最も高い石垣です。石垣上端の両側を上へ反らせた曲線で、「気勢い」と呼ばれる造りになっています。下から見上げた場合は両端が下がって見えないようにも工夫されています。

 

姫路城には歩道に飛び出している石垣も

 

歩道に飛び出している石垣

※写真は歩道に飛び出している石垣(中堀の市ノ橋門跡)

 

姫路城の城外、好古園の西側には歩道に飛び出している石垣もあります。石垣自体が先にこの地にあったため、半分歩道を占有してしまっているという、とても珍しい配置の石垣です。

 

明治時代に入り、荒廃してしまった城。そして保存に動いた一人の大佐

 

姫路城の「菱の門」から城の中へと入ると、左側に「中村大佐顕彰碑」という石碑があります。この石碑は大きい割には目立たないため、立ち止まる人もほとんどいません。

 

中村大佐顕彰碑

 

明治時代になると、城は陸軍省の管轄となって駐屯地などに使われますが、天守などの建造物は荒れ果てたまま放置されていました。明治10年には飛鳥井雅古少佐が予算を申請して裁許されますが、実際は費用不足のために修理は進みません。

 

そんな時に陸軍省の中村重遠大佐が姫路城の荒廃を憂い、明治11年(1878年)、山縣有朋宛に「永久保存させるために一日も早く費用を追加して修理をすべき」という伺書を提出し、太政官へ上申して欲しいと働きかけたと言います。そして結果として姫路城は破却を免れています。

 

西南戦争で難攻不落を示した熊本城の存在

 

前年の明治10年(1877年)には「西南戦争」が起き、西郷隆盛率いる薩摩軍が熊本城を包囲、攻撃しましたが、熊本城は50日間に渡って耐え抜き、この籠城戦が熊本城を難攻不落の名城である事を世に示す形となりました。

 

山縣有朋に伺書を提出した中村重遠大佐も旅団参謀長として参戦していて、一説にはこの時に熊本城の防御力を実感し、姫路城などの価値ある城郭も保存せねばならないと考えたのではないかと言われています。

 

今改めて、熊本城の復興を祈る

 

2016年4月に起こった熊本の大地震。「いつの日か必ず元の姿に戻ってくれるとを信じています」という熊本城公式facebookの投稿がありました。また、「余震が続く中でも熊本復興のシンボルとして、これからも私達を勇気づけて欲しいです」という投稿もありました。

 

城の歴史を紐解けば、はるか昔は城主の想いによって造られていますが、現代では、城を見守る側の市民の想いが詰まった場所である事を実感します。西南戦争にも耐え抜いた熊本城。筆者の曽祖父も連隊の一員として熊本城に籠城していたと聞きます。その熊本城が守ってくれたおかげで、今の私がここに居ると思うと、感慨深いものがあります。地震で大きな被害を受けた熊本城の現状に、心が締め付けられる想いもありますが、九州出身者としてこれからの復興を祈り続けたいと思います。

 

熊本城の宇土櫓

※写真は熊本城公式facebookから。宇土櫓(国指定重要文化財)

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

 

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