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姫路に残る播州皿屋敷の伝承、日本三大怪談の1つに数えられるお菊伝承の地を巡る旅

記事公開日:2017/06/08

姫路城内の上山里曲輪にある「お菊井戸」。ここはあの「播州皿屋敷」の話で有名な井戸だと言われ、訪れた観光客が恐る恐る井戸を覗き込むような光景も見られるスポットです。そして姫路には「お菊神社」という神社もあり、古くから皿屋敷伝承が残る地域となっています。今回は日本三大怪談の1つにも数えられる、「お菊伝承」の地を巡る旅へご案内します。

姫路城内の上山里曲輪に残るお菊井戸

※写真は姫路城内、上山里曲輪に残る「お菊井戸」

 

伝えられている播州皿屋敷伝説の内容とは?

 

永正元年(1504年)に姫路城主を継いだ小寺則職(のりもと)はまだ若く、城代であった青山鉄山はこの地の乗っ取りを狙い、近くの増井山(随願寺)で主君を討とうと画策します。しかしこの時、鉄山の息子は父鉄山に対して翻意を促したものの、逆に鉄山の怒りを買う結果となり、父親に幽閉されてしまいます。そしてこの時に幽閉された息子が、以前から親身にしていたお菊に報せを頼む事で、父親の襲撃を食い止めて主君を守ったと言います。

 

しかしその後、城代の青山鉄山は近隣国とも密通し、援軍を受けてから形勢が一気に逆転。姫路城主の小寺氏は追放され、代わりに鉄山が姫路城主へと成り上がりました。そしてその時の祝宴に使用する家宝の皿を部下がわざと1枚隠し、この罪をお菊へと着せてしまう。それによってお菊は責められてしまい、庭の松に吊るし上げられた後、井戸へと投げ込まれて殺されてしまったと言います。

 

その夜から、「一枚、二枚・・・九つ、嗚呼悲しや」と、皿を数えるお菊の低い声が館に響き渡るようになります。そして逃げ出した青山鉄山はやがて小寺氏と赤松氏に攻められて自害。小寺家はこの時のお菊の忠義に対し、十二所神社に祀る事で霊魂を鎮めたと言われます。(参考:姫路城史、播州皿屋敷実録)

 

十二所神社の境内にあるお菊神社

 

お菊を祭神とする、十二所神社内のお菊神社を訪れてみる

 

十二所神社の境内にある「お菊神社」。ここはお菊を祭神とする「三菊大明神」の1つです。このお菊神社の由緒によれば、お菊が仕えた小寺則職が若くして病床に伏せた時、病気平癒の祈願でこの十二所神社を参籠し、その願いが叶って則職も全快したと言います。そしてその後にお菊は無残に殺されてしまいますが、お菊の霊が主君則職を導き、青山鉄山などの一味を滅ぼして本懐を遂げる。小寺則職はお菊の忠節を感じ、十二所神社内に祠を建て、霊を祀り懇ろに慰めたそうです。

 

お菊神社の社殿内にて

 

この十二所神社では十二本の蓬(よもぎ)が一夜にして生え、この葉で諸病を治癒すべしという神託があったという伝承から「医薬の神」ともされ、病気平癒祈願の神社として知れ渡り、今に伝わっています。現在の社殿は戦災後に再建されたものですが、浄瑠璃「播州皿屋敷」では「お菊は十二所神社に祀られている」とされ、大坂で上演された寛保元年(1741)頃にはすでに成立していたと見られています。

 

しかし、実際のお菊井戸は、城外の桐の馬場にあったとも伝わる

 

尚、実際のお菊井戸が何処にあったのか?については諸説があります。諸本の播州皿屋敷系の記載では、姫路城東側の武家屋敷付近にあったとされ、青山鉄山(あるいは小幡氏)の屋敷があった「五軒屋敷」の近くで、姫路城東側(鬼門近く)の中曲輪の「桐の馬場」の井戸から、お菊の皿数えの声が聞こえたという話が残ります。

 

桐の馬場付近の現在の様子

※写真は姫路城の東側、「桐の馬場」付近の現在の様子。赤煉瓦つくりの姫路美術館の向かい側で、県立高校の端(写真の道路奥側)付近だと言われています。

 

そしてお菊を吊るしたと言われる梅雨松は?

 

また、姫路城西端の中堀近く、「車門跡」にはお菊を吊るしたという「梅雨松」があったとされ、お菊の怨念で梅雨になると松が枯れ、梅雨があけると緑が増えると伝わっています。しかし、実際には江戸時代の元和年間(1615年~)に足軽頭人の鈴木某が植えた松と言われています。(参考:宝暦12年(1762年)平野庸脩「播磨鑑」)

 

史料から見えてくる、皿屋敷伝承の原型と変遷

 

最も古い史料と言われる「竹叟夜話」(長良竹叟)。この史料の内容は天正5年(1577年)、織田信長が天下統一に向け、石山本願寺との戦いに明け暮れていた時代に書かれたものとされます。この「竹叟夜話」では「嘉吉の乱(1441年)」の後、山名宗全が赤松満祐を滅ぼして「青山」の地に館を構え、太田垣氏(天空の城でも有名な竹田城の城主)を置いたという史実をベースにしていて、この時に「小田垣主馬助(太田垣モデル)がアワビの盃が一つ見当たらないとして、妾の花野を松ノ木にくくって殺してしまう」という内容が残り、これが皿屋敷伝説の原型とも言われます。

 

その後、寛保元年(1741年)に浄瑠璃、「播州皿屋敷(為永太郎他作)」の大坂上演があり、宝暦8年(1758年)に「皿屋敷辨疑録(馬場文耕)」の番町皿屋敷怪談芝居が行われるなど、江戸時代になって浄瑠璃や歌舞伎の隆盛に伴って伝承が増加。この時に地名の青山が人名となり、青山鉄山が青山播磨守となり、その地方に馴染む内容となって語り継がれていったようです。

 

青空に映える姫路城

 

ちなみに怪談「皿屋敷」の伝承は、日本各地50ヶ所近くに伝わっていると言われます。その起源については諸説があり、未だ謎に包まれていますが、根底には乱世に翻弄された女性たちの数々の悲劇があり、冥界と繋がる「井戸」の存在と、成仏できない霊の「皿数え」による怨念晴らしなど、民間信仰を含む形で各地へと広がっていったと言われています。姫路では今でも、お菊神社を含む十二所神社に、病気平癒を願って訪れる人も多いと言われています。

 

今回ご紹介した兵庫県姫路市の旅行スポット

 

名称:姫路城
住所:兵庫県姫路市本町68
アクセス:JR姫路駅から徒歩約20分
入城料:大人(18歳~)1,000円/小人300円
参考リンク:姫路城の公式サイト

名称:十二所神社、お菊神社
住所:兵庫県姫路市忍町120
アクセス:JR姫路駅から徒歩約15分

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

 

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