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湊川神社、知られざる楠木正成公最後の地に特別に入り、維新の志士たちの足跡を辿る旅

記事公開日:2015/11/19

歴史に名高い名将・楠木正成公をご祭神とする神戸の湊川神社。今回は通常見ることができない、楠木正成公最後の地を特別に巡り、維新の志士たちの足跡を辿る歴史旅をご紹介していきます。

湊川神社、知られざる楠木正成公最後の地に特別に入り、維新の志士たちの足跡を辿る旅


一見、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂と見紛うほどに荘厳な天井絵。ここは神戸駅の北にある湊川神社です。この湊川神社は鎌倉時代後期に活躍した名将、楠木正成を祀った神社で、明治5年(1872年)に明治天皇の命によって創建されました。

 

ご祭神である楠木正成公は、智・仁・勇の三徳を備えた人物と言われ、学業成就、合格祈願、開運招福の御利益があると人気です。地元では「楠公(なんこう)さん」と呼ばれて親しまれています。

 

湊川神社

 

時は元弘元年(1331年)、楠木正成は後醍醐天皇の命を受け、北条氏率いる鎌倉幕府軍と戦って討幕に貢献をします。そして後には、後醍醐天皇に対して反旗を翻した足利尊氏の軍勢数万に対し、わずか700騎ほどで激戦の末、延元元年(1336年)5月、遂に力尽きて「七生滅賊」を誓い、この湊川の地で殉節しました。

 

湊川公園の大楠公像

※写真は湊川公園にある大楠公像

 

湊川神社の境内

 

広くてゆったりとした境内。その両側には「神能殿」「宝物殿」などもあります。

 

湊川神社の拝殿

 

拝殿の内部①

 

拝殿の天井を埋め尽くす、圧巻の奉納絵

 

現在の社殿は戦後に再建されたもので、天井には棟方志功の呼びかけで集まったという、著名画家の奉納画163点が埋め尽くされるように並んでいます。この壮大な天井絵の数々はまさに一見の価値ありです。ちなみに中央円形の「青竜」は、岡倉天心に学んだ南画の巨匠と呼ばれる福田眉仙の作だそうです。

 

拝殿の天井

 

その横に棟方志功の4枚で構成される版画「運命」があります。これは哲学者ニーチェに啓示を受けたと言われる作品です。

 

湊川神社の境内

 

希少な機会!特別に楠木正成「殉節地」へと入れて頂く

 

境内の北西端には楠木正成の最後の地「殉節地(国指定史蹟)」があります。ここは聖域であり、通常は門扉が閉ざされています。しかし今回は社務所にお願いし、お宮の方が立会いの下で、特別に中へと入れて頂きました。

 

楠木正成公、最後の地①

 

延元元年(1336年)の5月25日、これまでの命と覚悟した楠木正成は、弟の正季(まさすえ)らの一族と「七生滅賊」を誓い、共に刺し違えてこの地で殉節したと伝わります。

 

楠木正成公、最後の地②

 

入口を入るとさらに正面に石段があり、少し高くなっています。ここは木々が茂っている場所であり、どことなく霊気が感じられ、身が引き締まる思いがしてきます。

 

楠木正成公、最後の地③

 

楠木正成公、最後の地④

 

楠木正成兄弟の殉節地は、さらに玉垣の奥、紙垂(しで)の下がる注連縄に囲まれた場所となっています。「七度生まれ変わって朝敵を滅ぼしたい」と叫んで果てたと伝わる楠木正成兄弟。この鬼気迫る言葉を思い起こすと、何か霊魂がこちらを見ているような錯覚に落ち入りそうです。

 

寄進された灯篭たち

 

敷地内には寄進の灯篭が並んでいます。石段の左右には「江藤新平」の灯篭、その横には「大木喬人(たかとう)」の玉垣を挟んだ灯篭が一対。その右に「大隈重信」の対灯篭が並びます。さらに右奥には「伊藤博文」寄進の灯篭もあります。

 

伊藤博文が寄進した灯篭

※写真は、奥にある「伊藤博文」寄進の台座に乗った灯篭

 

伊藤博文は明治2年(1869年)に灯篭を寄進しています。そして大正4年に神田兵右衛門寄文の台座が築かれ、その上に灯篭が設置されています。この神田兵右衛門という人物は、五代友厚や渋沢栄一と共に明治11年に日本商工会議所を設立した実業家であり、伊藤博文とも交流が深かったと言われています。

 

大楠公御墓所

 

水戸光圀公が建立した「史蹟・楠木正成墓碑」

 

湊川神社の表門のすぐ右には楠木正成公の「墓所」があります。元禄5年(1692年)、大日本史の編纂を進めていた水戸光圀公が、忠誠と正義を貫いた正成公を慕って墓碑を建立したと言います。(国指定史跡)

 

徳川光圀公揮毫の墓碑銘

 

墓碑上段の黒い青和泉石の表面には、徳川光圀公揮毫の「嗚呼忠臣楠子之墓」という墓碑銘が彫られ、神獣と言われる「贔屓(ひいき)」の碑台「亀趺(きふ)※台石を大亀の形にしたもの」に乗せられています。

 

「贔屓の引き倒し」ということわざで有名なこの「亀趺碑」は、水戸徳川家にもみられる伝統的な装飾です。楠木正成公の故郷である大阪の「青和泉石」、京都の「白川石」、そして終焉の地である神戸の「御影石」など、ゆかり地の石が使われています。

 

ちなみにこの墓碑は徳川光圀公の思いが詰まった墓碑と言われ、建立作業には「助さん」こと、家臣「佐々介三郎宗淳」が直接現場で指揮をしたとも言われます。

 

維新の志士たちも足繁く参拝した「大楠公墓所」

 

この「大楠公墓所」には、幕末から明治維新にかけて活躍する吉田松陰、坂本竜馬、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允など、実に多くの志士たちが参拝しています。また、訪れた志士たちは楠木正成に寄せる想いを歌でも残しています。

 

久坂玄端「湊川にて みなと川 身を捨ててこそ 橘の香しき名は世に流れけん」
坂本龍馬「湊川に詣で 月と日の昔を忍ぶみなと川 流れて清き菊の下水」

 

墓碑銘「嗚呼忠臣楠子之墓」の拓本

 

尚、こちらのお宮の方に話を伺うと、吉田松陰は嘉永4年(1851年)から4度にわたって参拝し、墓碑銘「嗚呼忠臣楠子之墓」の拓本を入手し、松下村塾に掲げて志士たちの教育にも使用したそうです。そして持ち帰ったという拓本は、今も山口の萩博物館に所蔵されているそうです。

 

徳川光圀公像

 

墓所の建立に尽力した徳川光圀公を追慕し、人間国宝・平櫛田中(でんちゅう)作の徳川光圀公像も建立されています。徳川光圀公は心なしか、楠公墓所の方向へと顔を向けています。そして傍らには徳富蘇峰の文による頌徳碑が建っています。

 

徳川光圀公像の周辺

 

結婚式、七五三などでも賑わっている湊川神社

 

楠木正成公をご祭神とし、「人」を祀る「別格官幣社」として創建された湊川神社。境内に墓所や殉節地を含む事自体が珍しいようですが、この神社も普段は楠木正成公の智仁勇の三徳にあやかりたいと、結婚式や七五三詣などでも賑わっている神社です。

 

楠本稲荷神社

 

境内には「楠本稲荷神社」「菊水天満神社」もあります。

 

結婚式の風景①

 

訪れたこの日も、ちょうど結婚式が行われていました。

 

結婚式の風景②

 

神社への寄進や奉納の数々を見ていると、楠木正成公は実に多くの人々に慕われていた事が感じられます。忙しい毎日の生活に追われているという方も、時にはこの神社の広い境内をゆっくりと散策しながら、激動の時代に志を持って生き抜いた志士たちに、思いを馳せてみるというのもお勧めです。

 

今回訪れた歴史スポット

 

名称:湊川神社
住所:兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1番1号
アクセス:JR「神戸駅」から徒歩約3分。地下鉄山手線「大倉山駅」から徒歩約5分

名称:湊川公園の大楠公像
住所:兵庫県神戸市兵庫区荒田町1丁目
アクセス:地下鉄「湊川公園駅」からすぐ

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

 

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