トップ > 九州・沖縄地方 > 長崎県 > 日本の石橋文化の発祥地へ。眼鏡橋をはじめとした石橋群を巡りアーチ式石橋に憑かれた男たちを知る旅

日本の石橋文化の発祥地へ。眼鏡橋をはじめとした石橋群を巡りアーチ式石橋に憑かれた男たちを知る旅

記事公開日:2016/03/11

長崎を代表する名勝として知られる「眼鏡橋(めがね橋)」。江戸時代の前半に架けられ、日本最古のアーチ式石橋となっているこの橋は、当時の長崎の街の繁栄を物語る存在。今回は日本の石橋文化の発祥である、この中島川に架かる石橋群を巡りながら、アーチ式石橋に憑かれた二人の男の話を伝える旅へとご案内します。

眼鏡橋

※写真は川面に美しい姿を映す中島川の「眼鏡橋」

 

日本の石橋文化の発祥。鎖国時代に花開いた長崎・中島川のアーチ型石橋群の歴史

 

鎖国が続いた江戸時代、唯一の貿易港とされていた長崎には外国から多くの文化が入ってきました。当時、外国船からの荷揚げは港で小船に積みかえ、中島川を遡ってから陸揚げされました。その当時の中島川には木橋が架けられ、洪水の度に流されていたと言います。

 

そんな背景の中で、日本最初となるアーチ式の石橋「眼鏡橋(めがね橋)」が中島川に架けられます。そしてこれ以降、寛永から元禄期にかけて、数十年の間に20もの石橋が中島川には架けられました。これらの石橋は唐僧や商人など、個人の財力によって造られ、このエピソードが当時の長崎の繁栄ぶりを物語っています。

 

やがて洪水に強いアーチ式の石橋は日本各地に伝わり、その技術は発展して全国の石橋の規範となります。これが中島川の石橋群が日本の石橋文化の発祥と言われる所以です。

 

中島川に架かる袋橋

※写真は最も下流側の「袋橋」。眼鏡橋に次いで古いとされ、1982年(昭和57年)の長崎大水害でアーチ部分を残して崩壊したものの、流失した石材を集めて原形を復活させています

 

アーチ式の石橋に憑かれた二人の男の話

 

江戸時代中期の天明の頃、中島川に架けられた石橋の構造に興味を持った一人の男がいました。長崎奉行所に勤める下級武士、藤原林七がその人であり、林七は支柱を持たないアーチ式石橋の技術に強く憑かれます。やがて彼は出島のオランダ人と接触し、アーチ式石橋の技術の元となる円周率の計算を学ぶのです。

 

しかし、異国人と接することが禁じられた鎖国の時代、国禁を破った林七は長崎を脱出する事になります。そして遠く、山深い肥後の種山村まで逃れた林七はそこで石工の宇七と出会う事になります。やがて林七と宇七の二人はアーチ式石橋の技術を完成させ、地域の石工をまとめて「種山石工」を結成します。

 

アーチ式石橋の技術を発展させた二人の「種山石工」は、江戸時代後期から明治・大正時代にかけて、肥後を中心に多数のアーチ式石橋を架けていきます。そして種山石工は鹿児島の甲突川五石橋を架けた「岩永三五郎」や、肥後の通潤橋、東京の万世橋、皇居の二重橋などを手掛けた「橋本勘五郎」などの名工を輩出し、日本の石橋文化の礎となりました。

 

中島川に架かる眼鏡橋

※写真は有名な「眼鏡橋」。1634年(寛永11年)に、興福寺住持の唐僧・黙子如定(もくすにょじょう)の技術指導によって架設された日本最古のアーチ式石橋。川面に映るその姿から眼鏡橋と呼ばれました

 

中島川に架かる東新橋

※写真は「東新橋」。眼鏡橋の上流部にはアーチ式の石橋が密集します。東新橋は眼鏡橋のすぐ上流に、1673年(寛文13年)に架けられました

 

中島川に架かる一覧橋

※写真は「一覧橋」。1657年(明暦3年)に唐通事、高一覧が寄付を募って架けました。長崎大水害による流失の際には、中国福州市の花崗岩を使用して再架設されました

 

1982年の長崎大水害を乗り越え、復旧された文化遺産「中島川の石橋群」

 

400年近い歴史を誇る中島川の石橋群。しかし、1982年(昭和57年)の長崎大水害で壊滅的な被害を受け、眼鏡橋のほか2橋が半壊、6橋が流失してしまいます。現在架けられているアーチ式石橋のうち、眼鏡橋、袋橋、桃渓橋以外は、新しく架け直されたもので、復旧の際には文化遺産保護のために中島川にバイパス水路が設けられ、自然石による護岸工事も行なわれました。現在は眼鏡橋が国の重要文化財に、そして袋橋と桃渓橋が市の有形文化財に指定されています。

 

中島川に架かる古町橋

※写真は「古町橋」。1697年(元禄10年)に河村喜兵衛と母、妙了尼によって架けられました

 

中島川に架かる網笠橋

※写真は「網笠橋」。1699年(元禄12年)に岸村氏夫妻の喜捨によって架けられました。中島川の石橋群で最後に架けられた橋となっています

 

眼鏡橋をはじめとした中島川沿いは憩いのエリア。屋台のアイスクリームやハート石なども

 

川面には眼鏡橋が美しい姿を映し、岸辺の柳が緑の葉を揺らす。そして花壇とベンチが配されて、四季の花々が彩りを添えています。また、「眼鏡橋の屋台のアイスクリーム」はここでしか味わえない名物。通称チリンチリンアイスと呼ばれ、甘さ控えめのシャーベット風の味わいが観光客にも大人気となっています。

 

ハート石

※写真中央にあるのは恋を射止め、願いを叶えるとされる「ハート石」。眼鏡橋の傍には3個のハート型の石が埋め込まれています。訪れた際にはぜひ探してみてください。

 

今回ご紹介した長崎旅のスポット

 

名称:眼鏡橋(中島川石橋群)
住所:長崎県長崎市魚の町ほか
アクセス:JR長崎駅より路面電車「賑橋」徒歩すぐ
駐車場:周辺に駐車場あり

 

あらき 獏(ばく)あらき 獏(ばく)

情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。

 

長崎の人気宿ランキングをチェック

関連するお薦め記事

人気があって、しかも満足度が高いという宿はどこ?日本全国の旅館の中から上位30の宿をランキングでご紹介!
憧れの絶景宿、文化の香り高い老舗宿、そしてコスパ力の高いお得な宿も!ネット予約で5%のポイント還元!
テーマで旅行スポットを探す
地域で旅行スポットを探す