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鹿児島・甲突川に架けられたアーチ式石橋群の文化とストーリー。種山石工たちの活躍を知る旅

記事公開日:2016/10/31

鹿児島、祇園之洲の「石橋記念公園」には、鹿児島市街を流れる甲突川に架けられていたアーチ式石橋群が移設、保存されています。今回は日本の石橋文化の礎となった「西田橋」「高麗橋」「玉江橋」の3つの美しい江戸期のアーチ式石橋を訪れ、この石橋群の文化と誕生ストーリー、種山石工たちの活躍を知る旅へとご案内します。

水面に美しい姿を映す鹿児島の西田橋

※写真は水面に美しい姿を映す鹿児島の西田橋

 

江戸期の鹿児島に花開いた、アーチ式石橋文化の粋

 

かつて江戸時代後期の鹿児島城下では、甲突(こうつき)川が洪水を繰り返し、その度に城下の橋は流されていたと言います。そこで薩摩藩の第8代藩主、島津重豪(しげひで)は肥後、種山石工の棟梁、岩永三五郎を招き、洪水に強くて耐久性があるアーチ式石橋の架橋を要請します。

 

そんな縁で天保11年(1840年)に種山石工を率いて鹿児島に入った三五郎は、甲突川に玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋の5つのアーチ式石橋を架けました。そして、その時に三五郎が築造したアーチ式石橋群は「甲突川五石橋」と呼ばれ、以後鹿児島の人々に親しまれました。

 

しかし、江戸時代からの歴史を誇った甲突川の石橋群も、平成5年(1993年)8月の鹿児島大水害で壊滅的な被害を受け、武之橋と新上橋が流失、残った3橋も甚大な被害を受けました。そして甲突川の改修工事に併せて、残った玉江橋、西田橋、高麗橋は文化遺産として移設、保存されています。

 

この3橋は稲荷川の河口、かつて第11代藩主の島津斉彬が築いた祇園之洲砲台の地に移設され、平成12年(2000年)に「石橋記念公園」として開園。この時にアーチ式石橋の歴史や技術を伝えるために、石橋記念館も併設されました。

 

移設、保存された橋の1つ高麗橋

※写真は移設、保存された橋の1つ高麗橋

 

高麗橋は弘化4年(1847年)架設の4連アーチ橋で、この橋の両岸に広がる加治屋町や高麗町は、西郷隆盛や大久保利通、大山巖など、明治維新の英傑を輩出した町でもあります。また、復元された高麗橋の袂には岩永三五郎の像が建立されています。

 

玉江橋

※写真は玉江橋。玉江橋は嘉永2年(1849年)架設の4連アーチ橋で、5橋のうち最後に架けられた橋。甲突川の最上流に架けられました。

 

アーチ式石橋の特異な歴史とストーリー。肥後・種山石工たちの活躍

 

鎖国が続いた江戸時代、唯一の貿易港とされた長崎には外国から多くの文化が流入し、長崎の中島川には眼鏡橋など、唐人の手によるアーチ式石橋群が架けられました。そしてこの洪水に強いアーチ式石橋の構造に興味を持った長崎奉行所の下級役人、藤原林七は、出島のオランダ人にアーチ式石橋の設計の元となる円周率の計算を学びます。

 

やがて、長崎を出奔した林七は肥後の種山村で石工の宇七と出会います。そして、中国の架橋技術、欧州の設計思想、そして、日本古来の石加工技術を併せ、2人は独自のアーチ式石橋の築造技術を完成させ、地域の石工を纏め「種山石工」を結成しました。

 

後にこの種山石工は、東京の万世橋、皇居の二重橋などを架けた橋本勘五郎といった名工を輩出し、江戸時代後期から明治時代にかけて全国に多数のアーチ式石橋を架け、日本の石橋文化の礎となっています(関連記事:日本の石橋文化の発祥地へ。眼鏡橋をはじめとした石橋群)。

 

鹿児島の甲突川五石橋を造った岩永三五郎は、種山の石工である宇七の子。父に石加工技術を、長崎の藤原林七にアーチ橋の設計を学び、種山石工の中心的な人物となっていきました。

 

西田橋

※写真は西田橋。西田橋は弘化3年(1846年)架設の4連アーチ橋。この橋は城下への玄関口とされた橋で、参勤交代の行列も通ったとされます。岩永三五郎の代表作とも言われ、県の有形文化財にも指定されています

 

アーチ式石橋の緻密な構造

※写真はアーチ式石橋の緻密な構造

 

薩摩藩の刺客に襲われる三五郎。甲突川五石橋にまつわる歴史秘話

 

甲突川での架橋工事が終わる頃、薩摩藩内の実情を知り過ぎた三五郎たちは暗殺されるのではないかという噂が立ちます。そんな噂に心痛した三五郎は、石工たちを様々な口実で肥後へと帰していきます。

 

そして最後に残った三五郎自身も、嘉永2年(1849年)に帰郷を許されますが、三五郎は薩摩藩が送った刺客に国境近くで襲われてしまいます。しかし、この時の三五郎の凛とした態度に感服した薩摩藩の刺客は、三五郎を秘密裏に逃がしたという逸話も残されています。

 

祇園之洲から望む桜島の勇姿

※写真は祇園之洲から望む桜島の勇姿

 

今回ご紹介した鹿児島の歴史旅スポット

 

名称:石橋記念公園
住所:鹿児島県鹿児島市浜町1-3
アクセス:JR「鹿児島駅」から徒歩15分、カゴシマシティビュー「石橋公園前」「祇園之洲公園前」徒歩すぐ
駐車場:専用駐車場あり
参考リンク:石橋記念公園公式サイト
※石橋記念館は9:00~17:00(7・8月は9:00~19:00)で月曜日休館(祝日の場合は翌日)、入館無料

 

あらき 獏(ばく)あらき 獏(ばく)

情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。

 

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