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長崎に今も残る多数の天主堂群。その裏で生涯を教会建築に捧げた鉄川与助の足跡を知る旅へ

記事公開日:2017/02/17

明治、大正期を中心に、長崎周辺や五島列島の集落に次々と建築され、光彩を放っていたのが「天主堂群」。今回は日本の教会建築の曙(あけぼの)とも言えるようなこの地で、教会建築に生涯を捧げ、「教会建築の父」とも呼ばれた一人の男の足跡を辿る旅をご紹介します。

明治43年建築の青砂ヶ浦天主堂の内部

※写真は明治43年建築の「青砂ヶ浦天主堂」の内部(新上五島町、中通島、国重要文化財)

 

長崎や五島列島に数多く建築された教会群。そこにいたのは教会建築の父

 

慶長17年(1612年)に江戸幕府によって発せられた「キリスト教禁止令」。そしてそれ以降の禁教期、長崎周辺には「隠れキリシタン」と呼ばれ、密かに信仰を守り続けた人々がいました。これらの人々が育んだ特異な文化は今、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、世界文化遺産候補にも挙げられています。

 

そして江戸晩期の「信徒発見」を契機として、明治時代以降にカトリックに復帰した人々は、長崎周辺や五島列島の自らの集落に次々と天主堂を造りました。教会建築の文化自体が無いこの時代、日本にとっては教会建築の曙(あけぼの)とも言えるような時期。そしてそれらの天主堂を建築したのが一人の男です。

 

時は明治12年(1879年)、長崎県五島列島の中通島において、大工の棟梁の子として生まれた「鉄川与助」。彼はフランス人宣教師に教会建築を学んで独学でその技術を習得。明治、大正期の長崎周辺や五島列島の集落に、数多くの天主堂を設計し、施工しました。生涯を教会建築に捧げた鉄川与助はその後、「教会建築の父」とも呼ばれました。

 

教会建築に生涯を捧げ、多くの天主堂群を残した鉄川与助の足跡を知る

 

明治40年に建築された木造の冷水教会

※写真は明治40年に建築された木造の冷水教会(新上五島町、中通島)

 

20歳の頃の鉄川与助が中通島の曽根天主堂の建築を手伝った際、フランス人宣教師であったペール神父と出会いました。そこで与助はペール神父からリブ・ヴォールト天井や幾何学の教えを受け、教会建築のイロハを学びます。当時の五島列島では天主堂の建築が求められ、与助も教会建築の世界に傾倒していきました。

 

やがて30代半ばになった与助は、長崎の大浦天主堂の大司教館の建築において、ドロ神父と出会います。フランス人宣教師であったドロ神父は土木や建築にも精通し、与助はより高度な技術を習得していきました。

 

その後の与助は五島列島をはじめとして、九州全域において数多くの天主堂を建築していきます。与助が建築した天主堂の多くは現在も使用され、文化財にも指定されています。昭和51年に与助が97年の生涯を全うするまで、彼が建築に携わった天主堂、教会の数は50を超えるとも言われました。

 

頭ヶ島天主堂

※写真は「頭ヶ島天主堂」(新上五島町、国重要文化財)。与助は地域で産出する石材を使うことで建築費を抑えています。辺境の集落では資金不足がネックになりますが、与助は工夫を凝らして天主堂を造りあげていきました。

 

明治41年建築の堂崎天主堂

※写真は明治41年建築の「堂崎天主堂」(五島市、福江島、煉瓦造、県指定有形文化財)

 

大正2年建築の今村教会堂

※写真は大正2年建築の「今村教会堂」(福岡県大刀洗町、煉瓦造、県指定有形文化財)

 

大正5年建築の大曽教会

※写真は大正5年建築の「大曽教会」(新上五島町、中通島、煉瓦造、県指定有形文化財)

 

木造の水の浦教会

※写真は木造の「水の浦教会」(五島市、福江島)

 

浦上天主堂

※写真は「浦上天主堂」。原爆で倒壊した旧浦上天主堂を与助が再建したもの

 

鉄川与助のその後の活躍のきっかけとなった、信徒発見のストーリー

 

時は戻って安政5年(1858年)、江戸幕府とフランスの間では「日仏修好通商条約」が結ばれ、それに基づいてフランス人の礼拝堂として、長崎に大浦天主堂が建築されました。この大浦天主堂は「フランス寺」とも呼ばれ、その美しさと珍しさから次々と見物人が訪れたと言います。

 

そして江戸時代晩期の元治2年(1865年)のある日、10数人の浦上の住人が大浦天主堂を訪れました。そしてその中の一人の女性が司教のプティジャン神父に近づき、「私たちは神父さまと同じ心を持っています」と囁き、自分たちが迫害を受ける中で信仰を守り通した、隠れキリシタンであることを告白します。

 

こうして隠れキリシタンの存在を知ったプティジャン神父は、長崎周辺や五島列島などで密かに隠れキリシタンを探し、多くの人々が信仰を守り続けていたことを知ります。この当時の「信徒発見」の報せは教皇、ピオ9世のもとにも送られ、教皇は「東洋の奇蹟」と呼んで賞賛したと言います。

 

17世紀以降の長い禁教期において、長崎周辺や五島列島で密かに信仰を守り続けた人々。この「信徒発見」をきっかけに明治期以降、長崎周辺や五島列島で次々と天主堂が建築されるようになり、それに伴って鉄川与助の活躍が始まっていきます。与助が数多くの天主堂群を建築した背景には、「信徒発見」のストーリーが秘められているのです。

 

大浦天主堂

※写真は日本の教会建築のメモリアルとも言える「大浦天主堂(国宝)」

 

今回ご紹介した鉄川与助設計、施工の主な教会、天主堂群

 

冷水教会 長崎県新上五島町(中通島)明治40年 木造
旧野首教会 長崎県小値賀町(野崎島)明治41年 煉瓦造 県有形文化財
堂崎天主堂 長崎県五島市(福江島)明治41年 煉瓦造 県有形文化財
青砂ヶ浦天主堂 長崎県新上五島町(中通島)明治43年 煉瓦造 国重要文化財
楠原教会 長崎県五島市(福江島)明治45年 煉瓦造
山田教会 長崎県平戸市(生月島)大正元年 煉瓦造
今村教会堂 福岡県大刀洗町 大正2年 県有形文化財
大曽教会 長崎県新上五島町(中通島)大正5年 煉瓦造 県有形文化財
江上天主堂 長崎県五島市(奈留島) 大正7年 木造 県有形文化財
旧大水教会 長崎県新上五島町(中通島)建て替え
田平天主堂 長崎県平戸市  大正7年 煉瓦造 国重要文化財
頭ヶ島天主堂 長崎県新上五島町 大正8年 石造 国重要文化財
細石流教会 長崎県五島市(久賀島)大正10年 木造 廃堂
平蔵教会  長崎県五島市(福江島)廃堂
呼子教会 佐賀県唐津市 旧馬渡島教会を移設
八幡教会 戸畑教会 小倉教会 福岡県北九州市 共に建て替え
紐差教会 長崎県平戸市
大江教会 﨑津教会 熊本県天草市
水の浦教会 長崎県五島市(福江島)
浦上教会 長崎県長崎市 原爆で倒壊した旧浦上天主堂を再建
桐教会 船隠教会 丸尾教会 長崎県新上五島町(中通島)

 

あらき 獏(ばく)あらき 獏(ばく)

情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。

 

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