丹後半島・伊根の舟屋、日本の美しい原風景が残る地で素晴らしい日の出を目にする京都旅
京都府北部で日本海に突き出た丹後半島。その丹後半島の北東部に位置する伊根湾には、日本の原風景とも言えるような美しい景観「伊根の舟屋」が並んでいます。今回は伝統的な伊根町の舟屋、そして日の出が美しく見える、隠れたビュースポットなど、この奥丹後の地の魅力をご紹介していきます。
江戸時代から繋がる独特の伝統建造物「舟屋」
伊根湾を囲む急峻な岩山はそのまま海へと入り、波が起こりにくい深い淵となっています。そして南側に向いた湾口は「青島」が入り口を狭めている静穏な湾であり、潮の干満差も50cm程度と極めて少ないため、自然の良港としての形を成しています。ここではこの特徴的な地勢を活かし、海に直接出入りができる「舟屋」というものが造られました。
5kmの湾の周囲には約230棟の舟屋が連続して並び、江戸時代末期から昭和初期にかけての町並みが残され、歴史的な景観の姿を伝えています。平成17年(2005年)には「漁村」として唯一、国の「伝統的建造物保存地区」に指定されました。(2015年現在)
懐かしい漁村の風景はロケ地として人気
伊根の舟屋は昭和57年(1982年)に映画「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」のロケ地となり、平成4年(1992年)には「釣りバカ日誌5」、そして平成5年(1993年)には朝のNHK連続テレビ小説「ええにょぼ」のロケ地としても評判となり、日本の美しい風景を残す場所として、全国的に知られるようになりました。
伊根の舟屋の風景は、その他にも様々な形で選出、選定されている
素朴で郷愁を誘う舟屋群は、日本を代表する原風景としても評価されています。平成8年(1996年)には「日本の渚百選」、平成20年(2008年)には「日本で最も美しい村」(2015年現在60町村)、そして平成18年(2006年)には「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」)などにも選定されています。
※写真は古い時代の舟屋。一番左が江戸時代、真ん中は昭和、右が大正時代の舟屋だそうです
伊根の舟屋にまつわる歴史
ここ伊根庄は建久2年(1191年)に「長講堂所領注文」という史料で初見され、鎌倉時代末期には集落が形成されていたようです。当初は湾内中心の漁業だったようですが、江戸時代以降は湾外へと拡大されました。また、明暦2年(1656年)の「鯨永代帳」には捕鯨の記録も残されています。江戸時代末期には短冊型の地割りが見られ、現在の舟屋群の基礎が確立しています。
立ち並ぶ舟屋は、切妻造で短辺側に開口される「妻入り」で統一されています。基礎石上にはやや内側に傾ける「内転び」の柱を建て、妻側は駒形形状となっていて、妻下部には舟を引き入れるための石敷き斜路が設けられています。
日本海からの美しい日の出が見える、稀少なビュースポット
伊根町の東側には若狭湾が大きく広がっています。そのためここは、日本海側で海からの日の出が見える、数少ないビュースポットの1つです。能登半島や島根半島の東端なども有名なビュースポットですが、伊根の舟屋から北に数キロの泊海岸付近からは、とても美しい日の出を目にする事ができます。ここは余り一般には知られていないものの、釣り人たちに人気スポットだと、民宿の方が教えてくれました。
※写真の水平線の向こうは福井県の敦賀市方向
※写真は竿を垂らす釣り人の風景
その他にも丹後半島には見所が多い
丹後半島の根元に位置する宮津市には、日本三景の1つである「天橋立」が、美しい白砂青松の砂州を見せています。南側から縦に見える、龍が天に昇るような形の「飛龍観」が有名ですが、湾の反対側の傘松公園から見た「昇竜観」(斜め一文字形)も美しい景観です。
近くの国道178号線を北上すれば伊根湾の舟屋が広がり、さらに進めば「浦嶋神社」という神社もあります。全国には多くの浦島伝説がありますが、丹後半島の伊根町はその発祥地とも言われています。「古事記」「日本書紀」「万葉集」にも登場し、「丹後国風土記」(713年~715年に成立)の中に最も古い記述があると言われる浦島伝説。その逸文には与謝の郡(伊根)の「浦嶋子」が常世(竜宮)に行き、300年後に戻ったという話が書かれています。
最後に冬場の丹後と言えば、「ずわい蟹」が美味しい地域としても知られています。この地ならではの食と景観、そして残された伝承を訪ねてみる丹後の旅もまた魅力的ですよ。
今回ご紹介した京都旅のスポット
名称:伊根の舟屋
住所:京都府与謝郡伊根町
アクセス:国道178号線を宮津市から北上
播磨翁
兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。
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