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飛鳥寺と飛鳥大仏、日本最古の大仏が鎮座する、かつての日本の中心地を訪れる歴史旅

記事公開日:2015/09/07

奈良県明日香村。かつての日本の中心地であり、多くの人が行き交い、最先端の文化発信地であった場所。今回は1,400年ほどの時を遡り、飛鳥文化の歴史に触れてみる旅をご紹介。日本最古の「飛鳥寺」と「飛鳥大仏」、そして「蘇我入鹿の首塚」を訪れてみました。

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はるか昔、日本の中心地だった場所「明日香村」

 

のどかな田園の上に、どこまでも空が続く。都会での雑多な生活の中で、つい忘れてしまいがちな穏やかさが、ここにはあるような気がします。そしてこれがはるか昔、日本の中心地であった場所の風景。この風景を1,400年ほど遡れば、多くの人々が行き交い、最先端の文化が発信され、寺院の大伽藍が広がり、天皇の皇居であった小墾田宮までもがこの地域一帯にあったと言います。

 

奈良県の明日香村。石舞台古墳や高松塚古墳、甘樫の丘などの歴史スポットがある村で、飛鳥文化と呼ばれる文化が花開き、その中心には伝来して初めて本格的に取り入れられた、仏教の影響があったと言います。今回はこの明日香村で、日本最古の寺院である「飛鳥寺」を訪ねてみました。

 

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日本最古の寺院「飛鳥寺」と「蘇我馬子」

 

明日香村を代表する歴史スポットの1つである「飛鳥寺」。蘇我氏で知られる蘇我馬子の発願により、西暦600年前後に建てられたという日本最古のお寺です。蘇我馬子は敏達天皇から推古天皇の時代まで、4代の天皇に仕え、国内への仏教導入を巡って物部氏と対立したものの、「丁未の乱」で物部守屋を打ち破り、以後は絶大な権勢を振るったと言われます。

 

この蘇我馬子は、日本で初めての女帝・推古天皇の伯父さんに当たり、厩戸皇子(聖徳太子)とともに「冠位十二階」や「十七条の憲法」を制定した人物という説もあり、日本で初めて本格的な仏教の導入を推進した人物でもあるというから、かなりのすごい人です。

 

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明日香村の広大な田園地帯の中に位置する「飛鳥寺」。まるでどこかの時代で時が止まってしまったかのように、小さくて静かなお寺。ここは日本最古の寺院にも関わらず、京都や奈良の大寺院の賑わいとは全く異なる、素朴な佇まいが意外に思えました。

 

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日本で初めての大寺院は、雨ざらしの廃墟に

 

日本最古の寺「飛鳥寺」の講堂(元金堂)。飛鳥時代に創建されたこの寺は、およそ1,400年の間に落雷等で二度の火災に遭い、本堂までをも失ってしまいます。そして一時は廃墟となり、雨ざらしのまま打ち捨てられていたとも言われます。

 

現在の飛鳥寺の建物は江戸時代に再建されたものだそうですが、江戸時代に「古事記伝」を著した本居宣長もこの飛鳥寺を訪ねており、当時の記録として、門などもなく、かりそめなる堂に本尊が安置されているだけと書き残しているそうです。

 

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日本最古の寺院に、日本最古の「飛鳥大仏」

 

そして飛鳥寺と言えば、日本最古の大仏である「飛鳥大仏(釈迦如来像)」が有名です。拝観料を支払って、靴を脱ぎ、飛鳥大仏が鎮座する講堂(元金堂)の中へ。そして中へ入るとすぐに飛鳥大仏は鎮座していました。中国から渡来した仏師、鞍作止利という人の手で造られたというこちらの飛鳥大仏は、奈良・東大寺の大仏よりも150年以上も先輩!だそうで、飛鳥時代からずっとこの場所に座っておられるのだとか。大仏開眼から1,400年を経て尚、ここに形を残して座っているというのは本当にすごいですよね。

 

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日本最古の大仏なのに、国宝ではなく重要文化財ってなぜ?

 

飛鳥大仏の特徴は、面長の顔立ちにアーモンド型の目。顔の向きもほんの少しだけ右向きのような感じです。お寺の方曰く、聖徳太子が生まれた橘寺の方角を向いているという説もあるのだそうですが、飛鳥大仏が造られた時には、まだ聖徳太子は生まれていないという話もあるようです。

 

そして訪れた際に1つ気になったのが、こちらの飛鳥大仏は「国宝」ではなく「重要文化財」となっている点でした。火災を経て雨ざらしになった時代があり、飛鳥大仏も幾度かの補修を繰り返していて、飛鳥時代当時の制作部分がほとんど残されていない。それが理由で国宝にも指定されていない。そんな風に考えられているからだそうです。

 

しかしながら近年、飛鳥大仏にⅩ線分析調査を行なったところ、従来、補修されたと言われていた箇所の金属成分にも際立った差異がなく、仏身のほとんどが飛鳥時代当初のままである可能性が高いという研究成果も発表されています。

 

■参考リンク:飛鳥大仏 ほぼ造立当初のままの可能性、従来の見解覆す研究成果

 

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ちなみに日本最古の大仏である「飛鳥大仏」はすぐ目の前での写真撮影もOK。お寺の方も「どんどん撮影してもらって大丈夫ですよ!」とのことでちょっと驚きました。お寺の方もきさくで、飛鳥大仏について色々と説明してくれたのですが、その中でも特に印象的だった言葉は、「皆さん大仏というと、東大寺の大仏の方に足を運ぶのですが・・・」とおっしゃっていた点でした。

 

確かに、飛鳥大仏は日本最古の大仏にも関わらず、東大寺の大仏よりも随分と質素な建物の中にあり、ここを訪れる方も東大寺より随分と少ないように思います。前述したように、国宝になっていなかったり、補修説も根強かったりするせいか、飛鳥大仏様が少し可哀想にも思えてきます。本来なら、もっと立派な伽藍の中に鎮座していてもおかしくないような気もしてきます。お寺の方も、この辺りの事が気になっておられるのかもしれません。

 

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その他に、飛鳥大仏の隣には「聖徳太子像」も。こちらも同じく写真撮影OKとのことでした。近年、本当に実在していたの?とも言われる聖徳太子ですが、やはり古くから語り継がれ、信仰を集めていたのですね。

 

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こちらがかつての飛鳥寺の復元絵図。現在はこじんまりとした佇まいのお寺ではありますが、発掘調査によると、東西で200m、南北で300mもの規模を誇る大寺院であったと言われています。

 

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ちなみに飛鳥寺にはもう1つ訪れるべき場所があります。飛鳥寺の西門を出て、畑の中をまっすぐと伸びる石畳の道を、100mほど歩いていきます。

 

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畑の中にひっそりと佇む供養塔は、「蘇我入鹿の首塚」

 

飛鳥寺のすぐそばの畑の中に、ぽつんと佇んでいる供養塔。こちらは大化の改新(乙巳の変)で滅ぼされてしまった蘇我氏、「蘇我入鹿の首塚」だそうです。中大兄皇子らによって殺害された蘇我入鹿の首は、600m以上も離れたこの場所まで飛んできたという逸話がありますが、蘇我氏の氏寺である飛鳥寺を目指したとか、この首塚のすぐ先にある、甘樫の丘(蘇我氏の邸宅があったと言われる)を目指したといった話も残されているそうです。

 

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最後に改めて、はるか昔、日本の中心地であった場所の風景を。日本の歴史というと、京都や奈良の市内が注目を集めがちですが、初めて訪れた明日香村の地にも、新しい発見や学びがあり、非常に素敵な場所でした。明日香村を、そして飛鳥寺を訪れてみる人たちが、もっと増えていくといいな。そんな風に感じた歴史旅でした。

 

名称:飛鳥寺
住所:奈良県高市郡明日香村大字飛鳥682
拝観時間:9:00~17:30(10月~3月は17:00まで)
アクセス:近鉄電車「橿原神宮駅」から岡寺前行バスに乗車して約10分、バス停「飛鳥大仏前」下車
駐車場:20台分あり(普通車の駐車料金は¥500)



plastictレキタビ編集部

歴史スポット巡りや観光、老舗の歴史飯を味わう旅って案外楽しい!と言って頂けるような情報を発信したいと思います。

 

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