明治維新発祥の地・長府、決起した高杉晋作たちの心が残る毛利長府の町並みを歩く旅
山口県下関市の長府は、奇兵隊などを創設した尊王攘夷の志士、高杉晋作の回天義挙の地。その決起をきっかけに長州藩は尊攘となり、薩長同盟が締結されて明治維新へと続く次の時代の原動力になっていきます。現在の長府の町並みは城下町としての景観が整備され、土壁や屋敷門など旧毛利長府藩の武家屋敷群の佇まいが大切に残されています。
※写真は土壁が続く長府の古江小路
旧長府藩時代の景観と文化に触れながら、城下町・長府を歩き行く
山口県下関市の東部にある長府は、古代より長門の政治、文化の中心として栄えた地です。関ヶ原の戦いの後、毛利秀元が5万石で入府し、以来長州の支藩、長府藩の陣屋が構えられ、城下町が整備されていきました。
武家屋敷群の中心である「古江小路」には古い土塀と石畳の町並みが広がり、藩政時代の城下町の面影を今も色濃く残しています。また、乃木神社の辺り、「横枕小路」にも古い土塀が続く古風な町並みが残され、まるでかつての日本の時代に迷い込んだような感覚を味わえます。
※写真は古江小路の「菅家長屋門」。菅家は侍医兼侍講職を務めた格式の高い家柄
古江小路のそばの高台には「長府毛利邸」があります。この長府毛利邸は明治時代に当主の毛利元敏によって建てられた邸宅で、武家屋敷造りの重厚な母屋や、四季折々の表情を見せてくれる日本庭園の景観が人気を集めています。かつては明治天皇の行在所としても使用され、今も当時の部屋がここに残されています。邸内ではお茶のサービスも楽しめ、当時の時代の空気感に思いを馳せながら一息つく事ができます。
さらに長府には仲哀天皇と神功皇后が7年間滞在したとされる「豊浦宮」の跡、そして「忌宮神社」や日露戦争の英雄として知られる乃木大将を祀る「乃木神社」などの見所も。閑静な町並みに沿って流れる「壇具川(だんぐ)」は蛍の名所としても知られます。その他にも南の黒門町には長府毛利藩の家老格であった、西運長の屋敷跡の「長府庭園」というスポットも。山を背にした広大な敷地は、四季折々に姿を変えていく回遊式の日本庭園で、池を中心として書院や茶屋、東屋が点在しています。
※写真は「長府毛利邸」の母屋
※写真は白壁に囲まれた「長府毛利邸の庭」
高杉晋作が決起した功山寺。長府の地は幕末、明治維新ファンの聖地
幕末の長州藩は蛤御門の変や幕府軍による長州征伐の被害を受けるなど、激動と苦難の道のりを辿りました。しかし元治元年(1864年)、長府の地において高杉晋作が行動を起こした事によって長州藩は尊攘へと動き出し、その後の歴史は大きく転換し、明治維新の導火線となりました。現在の長府の街の中心、忌宮神社への参道の鳥居前通りには「維新発祥の地」という碑も建てられています。
そして古江小路、長府毛利邸の先の山手には「功山寺」という寺が佇んでいます。ここは長府藩祖、毛利秀元の菩提寺であり、鎌倉時代の創建とされている名刹です。加えてここは、あの高杉晋作が僅か80人ほどの人数で挙兵をした地としても知られます。今も古江小路の奥や功山寺へと続く石段の辺りを歩くと、幕末の志士が姿を見せてくれそうな空気感が感じられ、長府の地には高杉晋作をはじめとした尊攘の志士たちが残した、燃えるように熱いエネルギーが漂っているかのようです。
※写真は功山寺の山門。境内には馬上の高杉晋作像が、そして裏には長府毛利家の墓所、大内義長の墓などの見所もあります。
※写真は功山寺の仏殿。唐様建築で最古の禅寺様式とされ、国宝に指定されています。
※写真は境内の「長府博物館」。尊王精神を祈念して昭和初期に建てられた長門尊攘堂で、重厚さが一際目を引きます。
今回ご紹介した山口県下関市の旅行スポット
名称:長府毛利邸
住所:山口県下関市長府惣社町4-10
アクセス:JR「長府駅」からバス「城下町長府」徒歩約10分
駐車場:専用駐車場あり
入館料:大人200円、中学生以下100円
参考リンク:長府毛利邸公式サイト
名称:功山寺
住所:山口県下関市長府川端1-2-3
駐車場:周辺駐車場あり
名称:長府庭園
住所:山口県下関市長府黒門東町8-11
アクセス:JR「長府駅」からバス「市立美術館前」徒歩すぐ
駐車場:専用駐車場あり
入園料:大人200円、小中学生100円
あらき 獏(ばく)
情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。
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