花燃ゆの舞台・萩と下関へ、吉田松陰と文、久坂玄瑞ゆかりのスポット5選
吉田松陰の妹・文(ふみ)が、激動の幕末を波瀾万丈に力強く生きる様を描いたNHK大河ドラマ「花燃ゆ」。激動の時代を熱く駆け抜けた長州藩士たちの姿が、力強く描かれている作品でもあります。今回はそんな「花燃ゆ」にまつわる、吉田松陰と文(ふみ)、久坂玄瑞ゆかりのスポットをまとめてご紹介していきます。
【1】松下村塾
「松下村塾」は吉田松陰が長州、今の山口県萩市に開いた歴史名高い私塾。当時の身分や階級に関わりなく、志ある若者が数多く集った場所としても有名です。大河ドラマ「花燃ゆ」の中では、主人公・文が夫となる久坂玄瑞に出会った場所でもありました。
吉田松陰が実際に「松下村塾」を開塾していた期間は、わずか1年余りと非常に短かったものの、明治維新の世を動かしていく多くの人材を輩出した私塾でもありました。直近ではその歴史的価値から、2015年7月に「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産への登録も決まりました。
【2】吉田松陰幽囚の旧宅
吉田松陰と文(ふみ)の生家である杉家の家族たちが住んでいた旧宅。木造瓦葺き平屋建て214㎡の大きな建物で、「松下村塾」のすぐ隣に位置しています。この建物も松下村塾と合わせて、2015年7月に世界遺産への登録が決まりました。
松陰は安政2年(1855年)に野山獄から釈放されると、実家での蟄居を命じられます。そしてわずか3畳半の一室へと幽囚されることになったと言います。その後は家族に頼まれて孟子などを講義し始めると、禁を破ってでも聴講したいという人たちが現れ出します。これがきっかけで、「松下村塾」を開く道へと進んでいくことになります。
【3】萩城跡
久坂美和と名を改めた文(ふみ)は、23歳の若さで毛利元徳の奥方・安子の女中として萩城の奥御殿に入ります。身分が低い家柄の生まれでありながらも信頼を得て、毛利元徳の嫡男・興丸の守役にも抜擢されていきます。
この萩城の跡地は現在「(萩城跡)指月公園」と呼ばれ、春には600本余りのソメイヨシノが咲き誇る桜の名所にもなっています。明治時代に入って城自体はなくなってしまいましたが、石垣と堀の一部が昔の姿をとどめているなど、当時の歴史の面影が残っている場所となっています。
【4】久坂玄瑞誕生の地
「久坂玄瑞誕生の地」は、花燃ゆの主人公・文(ふみ)が最初に嫁いだ久坂家の旧宅跡。三条実美が詠んだ追悼の和歌が刻まれた石碑が建っている場所です。
玄瑞は天保11年(1840年)に萩の藩医の三男として生まれました。そして17歳の時に松下村塾で勉学に励み、高杉晋作と共に「松門の双璧」とまで称される人物へと成長していきます。吉田松陰の亡き後は、藩論を尊王攘夷へと傾かせるなど、実質的な藩政の舵取り役の一翼を担う存在でもあったと言われます。
元治元年(1864年)、玄瑞は蛤御門の変で出陣。長州軍の敗色が濃厚になると、自責の念に駆られて自刃。この時の享年は、数え年でわずか25歳だったと言います。
【5】みもすそ川公園
幕府に攘夷の決行を認めさせた久坂玄瑞は、光明寺を本陣として「光明寺党」を結成。この光明寺党という集団には、藩や身分を問わず、憂国の若き獅子たちが集ったと言われています。
文久3年(1863年)には関門海峡を通航する外国船への砲撃を開始。これが引き金となって一年後に、列強四国(アメリカ・イギリス・フランス・オランダ))との間で「下関戦争」が勃発することに。
「みもすそ川公園」には長州の砲台のレプリカが並んでいて、そのうちの1つの砲台では、砲撃の音や煙の演出も楽しめるそうです。ちなみにこちらは源平の壇ノ浦の戦いにもゆかりがあるスポットで、源義経と平知盛の像も建てられています。
"長州砲(みもすそ川公園)02". Licensed under GFDL via Wikipedia.
"Mimosusodouzou" by Usiwakamaru - 2007年11月投稿者撮影. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.
辻Mさん
1988年生まれ。慶應義塾大学を卒業後、フリーライターの道へ。歴史好きの父に影響され、小学生の頃から大河ドラマや歴史小説を愛好。最近は建武中興のエピソードに関心。
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