全国3万の稲荷社の総本社、伏見稲荷大社で古代史最後の謎とされる稲荷神の秘密に触れる旅
京都の「伏見稲荷大社」は農業、産業の神として信仰を集め、華麗な社殿群や千本鳥居、稲荷山の霊域が人気を呼んでいます。初詣では西日本最多の参拝者数を誇り、近年は外国人観光客にも高い人気を誇るスポットとなっています。今回は改めてこの伏見稲荷大社に参拝し、稲荷神生成の謎を探る旅へとご案内します。
※写真は華麗な楼門
朱塗りの社殿群と千本鳥居、稲荷山山中の幽玄な霊域が人気の「伏見稲荷大社」
京都の「伏見稲荷大社」は、全国3万社とも言われる稲荷神社の総本社。表参道から稲荷山に向かって楼門、外拝殿(舞殿)、内拝殿、本殿など、朱塗りの社殿群が一直線に並び、後背の稲荷山山中には約1万基の鳥居や石祠(お塚)、行場が密集する霊域が広がっています。
伏見稲荷大社の主祭神、「宇迦之御魂大神(うかのみたま、倉稲魂命)」は穀物、農業の神として知られ、現在は産業全般の神としても信仰されています。また、伊勢神宮外宮の豊受大神や食物神である保食神(うけもち)、御饌津神(みけつ)などとも同神とされています。
※写真は伏見稲荷大社の美しい千本鳥居
渡来系の技能集団、秦氏が穀物神を氏神とする「稲荷祭祀の謎」
伏見稲荷大社は、和銅年間(710年頃)に秦氏の伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が、稲荷山の峯に神を祀ったことに始まるといわれ、古くは秦氏の氏神であったとされます。この「秦氏」は古代の渡来系氏族と言われ、日本書紀には「応神14年(283年)、弓月君が百済より百二十県の民を率いて帰化した」と記されています。記述の中にある弓月君は秦の始皇帝の後裔とも、秦韓(辰韓)の系統ともされ、機織(はたおり)に従事したため「秦(はた)」の名を賜ったともされます。この渡来系氏族の秦氏は土木や養蚕、機織の技能集団であり、山背国太秦などを本拠として繁栄していく事になります。
しかし古代史においては、渡来の技能集団である秦氏が、唐突に穀物神を氏神として祀ったという事の不思議さが指摘され、稲荷神の生成ストーリーは古代史最後の謎ともされています。
※写真は稲荷神の神使の狐
稲荷神にまつわる「旗」の話
稲荷神を穀物の神とする意義は、「稲荷」が「稲成り」と解されることに因るようです。古く、漢字は汎用とされるまでは音を表わすもので、渡来の外来語であろう「イナリ」は、古くは「伊奈利」と書かれています。のちに「稲荷」と表記されたために、稲荷神は穀物神とされたようです。では、秦氏が祀る「イナリ」の本来の意義とは、一体何であったのでしょうか?
ここで少し話は変わってしまいますが、旅芸人が町廻りの時に立てる細長い布旗のことを「イナリ」と言います。そして渡来系氏族である秦氏の一部が、猿楽を演じる旅芸人として各地を巡り、ネットワークを築いたという説もあります。猿楽とは猿田彦神の神楽に始まるとされ、猿田彦神は伏見稲荷大社において、配神の佐田彦大神として祀られます。
また、稲荷神が細長い布旗に化けて病人の上で舞い、その病人を救うといった逸話なども伝承され、稲荷神社には幟旗が立ち並び、初午の祭祀には五色旗が奉納され、子供たちが初午で貰う飴も旗が付いた「旗飴」であるなど、稲荷神には「旗(はた)」がまつわります。これらは、稲荷神の象徴が「旗」であり、その旗を「イナリ」と呼んだ痕跡とも見えます。そして何よりも秦氏は九州において「旗」の祭祀を行っていました。
この秦氏の渡来は5世紀に始まるとされ、最初は九州の豊前を拠点とします。古代中国の歴史書「隋書」には、倭国の筑紫の東に秦王国があり、中国人と風習を同じくすると記されます。また、大宝2年(702年)の豊前の戸籍では、秦、秦部などの秦系氏族が80%を占めるともされています。
豊前、宇佐神宮(現在の大分県)の八幡神の生成は、在地の宇佐氏の地祇に渡来系の辛嶋氏が原八幡神の信仰を持ちこみ、さらに6世紀に中央より下向した大神氏が、応神天皇の信仰を同化させたとされます。そしてこの中に出てくる辛嶋氏とは秦氏の一族であり、辛嶋氏が持ちこんだ原八幡神の神祇が「旗」の祭祀とされます。八幡信仰において「旗」とは神の依り代、旗がはためく様子は神が示現する姿とされます。
豊前、宇佐(現在の大分県)の託宣集において、八幡神は「我は始め辛(から、唐)国に八流の旗となって天降り、日本の神となって一切衆生を度する」と記され、八幡とは大陸の軍制の象徴である「八流の旗」に由来するとされます。そして北方の「八旗」が軍事、政治、生産の機能を持つ制とされ、始皇帝の「秦」は北方の民であったとも言われます。八旗の構成族は「旗人」と呼ばれ、秦(はた)氏が旗人であったともされます。また、韓半島にも旗を立てて神を祀るという習わしがありました。秦氏はこれらの「旗」の信仰をもたらし、豊前地域には「幡(はた)」の地名と「幡」の名をもつ神社群が密集し、宇佐の八幡神の生成へと繋がっていくのです。
「旗」の氏族、秦氏による稲荷神生成のストーリー
秦氏が元来「旗」の神祇を持ち、その信仰が「イナリ」と呼ばれて「稲荷」と表記されていったことで、稲荷神は穀物神とされたようです。そして穀物、農業の神である宇迦之御魂大神と結びつき、御饌津神などと習合したとも見えます。また、中世の神仏習合において稲荷神は密教の神「荼枳尼天」と同一視され、荼枳尼天が「狐」を従えることから「狐」が稲荷神の神使ともされたようです。
そしてさらに瀬戸内の海上交通の守護神、四国の「金刀比羅宮」も秦氏の祭祀とされています。縁起は大宝元年(701年)に「一竿旗」が空中から飛び来てこの地に墜ちたため、祠を立て「旗宮」と呼んだと伝わります。この宮の流樽の祭祀は樽に旗を立て、海に流すといった「旗」の神祇でした。渡来系氏族として知られる秦氏には、多くの「旗」がまつわっているようです。
今回ご紹介した京都・伏見旅のスポット
名称:伏見稲荷大社
住所:京都市伏見区深草藪之内町68
アクセス:JR奈良線「稲荷駅」から徒歩すぐ。京阪本線「伏見稲荷駅」から徒歩約5分
駐車場:境内に駐車場あり
参考リンク:伏見稲荷大社の公式サイト
あらき 獏(ばく)
情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。
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