あの坂本龍馬の妻、お龍さんの街と呼ばれる場所がある!知られざるお龍さんのその後と墓所を巡る旅
あの坂本龍馬の妻として有名な女性と言えば「お龍さん」。しかし龍馬の死後、お龍さんがどこでどんな人生を送ったのかは意外と知られていません。今回はお龍さんのその後の人生と墓所を巡る旅をご紹介していきます。
知られざる坂本龍馬の妻、お龍さんゆかりの街
幕末の風雲児として名高く、今も日本の歴史のヒーローとして語られる坂本龍馬。そしてそんな坂本龍馬の命を救い、後に龍馬の妻となったのがお龍さん。皆さんは「おりょうさんの街」と呼ばれる場所があるのをご存知ですか?
ここは神奈川県横須賀市にある大津という街。江戸時代、黒船に乗ってアメリカからやってきた、ペリーの来航地からも比較的近く、今は開けた街というよりは、地元の住宅街となっているような地域です。横須賀の街の中心部から少し離れたこの場所を訪れる観光客は少ないと思いますが、近隣には古くからの小さな商店がいくつか残り、どこか懐かしい昭和の雰囲気を漂わせています。
横須賀・大津のとある商店に貼られていたお龍さんのポスター
ある小さな商店にはこんなポスターが貼られています。坂本龍馬の妻、おりょうさんの街「大津」。おりょうは寺田屋騒動の折に、わしを救ってくれたぜよ。という龍馬の吹き出しとともに並ぶお龍さんの姿。この小さな街の中には、おりょうさんの街というのぼりがいくつも掲げられていました。
お龍さんの街となった背景には、信楽寺という寺の存在が
横須賀のこの場所がなぜお龍さんの街なのか?その答えはこのお寺の中にあります。ここは信楽寺(しんぎょうじ)という浄土宗の小さなお寺で、創建は1504年頃と言われます。寺の中には運慶作と伝えられる阿弥陀如来像があり、三浦半島一帯に点在する、38の地蔵尊の札所の1つとなっています。
この信楽寺とお龍さんのつながりを伝えている案内板がこちらです。明治維新直前の1867年、京都の近江屋で陸援隊の隊長、中岡慎太郎とともに刺客に襲われ、暗殺されてしまった坂本龍馬。その後、お龍さんの人生は大きく変わり、随分と苦労をされたようですが、最期はこの街で人生を終えたそうです。
信楽寺の境内にある、お龍さんの墓へ
静かな信楽寺の境内へ入ると、左側に墓地が広がっています。地元の方々のお墓が多数あるこの墓地の中の一角で、少しだけ小高くなっている場所の上に、お龍さんのお墓がありました。
各地を流転した後、再婚して横須賀へと嫁いたお龍さん
ここがお龍さんのお墓です。坂本龍馬の死後、龍馬の姉夫婦の元に身を寄せたというお龍さんだったのですが、姉夫婦との生活が合わなかったのか、その後は京都、東京、横浜などを転々とする事になってしまいます。横浜にはかつてお龍さんが仲居として働いたという料亭「田中家」が今も残りますが、この後、年下の西村松兵衛という商人の男性と再婚して横須賀へ嫁ぎ、名前も西村ツルへと改めたそうです。
その後のお龍さんの人生を知る
再婚して名を改め、横須賀の米が浜と呼ばれる地域で晩年を送ったと言われるお龍さんですが、その暮らしぶりは困窮を極めたとも言われています。後に再婚相手とは別居したという話や、酒浸りになってしまったという寂しいエピソードの話などもありますが、最期はこの地で66歳の生涯を閉じたそうです。
死後はその暮らしぶりのせいもあったのか、墓に墓碑も建てられていなかったそうですが、お龍さんの死から8年後、かつての志士であった人たちの寄付や、信楽寺の住職の計らい等もあり、ここにようやく墓碑が建ち、静かに眠れる事になったそうです。
昔も今も、著名人や偉人たちというのは、華やかな一面ばかりが取り上げられがちではありますが、お龍さんにまつわるエピソードを知るうちに、人に言えない、言ったとしても仕方のない苦労、複雑な思いなどが胸の中にあったのではないかと感じます。どこまでも人間臭いような生き方を貫いたお龍さんですが、ただただ、心穏やかに眠れる事を祈るばかりです。
※信楽寺のお龍さんの墓は観光地ではなく、地元の方々のご先祖様も眠る静かなお寺です。訪れてみる際は周囲の迷惑とならないように、お気をつけくださいね。
今回ご紹介したスポット
名称:信楽寺(しんぎょうじ)
住所:神奈川県横須賀市大津町3丁目29-1
アクセス:京浜急行電鉄本線「京急大津駅」から徒歩約5分
駐車場:なし(近隣はコインパーキングも少ないため、電車移動が望ましいです)
ニホンタビ編集部
日本には奥深い魅力を持った素晴らしいスポットがたくさん!ニホンタビがもっと楽しくなる、そんな大人のための旅行情報を発信していきます。
横須賀の人気宿ランキングをチェック