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杵築の城下町、知る人ぞ知る美しいロケ地で石畳の坂と海景色、藩政時代の風情に浸る旅

記事公開日:2017/07/20

大分県の「杵築(きつき)」。ここは度々映画やTVコマーシャル等にも登場しているロケ地であり、美しい石畳の坂道が残る城下町としても知られています。今回は知る人ぞ知る杵築の美しい街並みや海景色、歴史遺産を巡り、かつての藩政時代の風情に浸る旅へとご案内します。

杵築城下に残る酢屋の坂

※写真は杵築城下に残る酢屋の坂

 

城と2つの台地に築かれた城下町「杵築」

 

国東半島の南端、別府湾に面する「杵築(きつき)」は、江戸時代に杵築藩松平氏3万2千石の城下町として栄え、国東半島の政治経済の中心地とされてきました。そんな杵築の地には武家屋敷群や商人町など、旧杵築藩時代が景観が今も大切に残されていて、訪れる旅人たちに独特の表情、風情を見せてくれます。

 

別府湾に突き出た高台には杵築城が築かれ、城の後背の2つの台地には武家屋敷群が広がり、2つの台地はそれぞれ北台、南台と呼ばれ、中間の谷には商人町が営まれている。そんな特徴的な地形となっている杵築の町は、別名サンドイッチ型城下町とも呼ばれています。

 

この「杵築」の町の最大の魅力は、城下に残る落ち着いた風情。武家屋敷群、商人町などには、当時暮らした人々の思いまでもが伝わってくるような佇まいが色濃く残り、21世紀から江戸時代へとタイムスリップしてしまったかのような感覚を覚えます。

 

杵築に残る勘定場の坂

※写真は杵築に残る勘定場の坂

 

別府湾の絶景を望む杵築城は島津合戦や慶長の攻防戦を戦い抜いた城

 

今も杵築の町のランドマークとなっている「杵築城」は、八坂川と高山川の河口に挟まれ、別府湾に突き出た台山の上に築かれている要害の城。この城は室町時代初期、木付氏(きつきし)によって築城されたと言います。戦国時代には島津家の大軍の猛攻に遭う事となりますが、2か月間に渡って耐え抜いて撃退。それにちなんで「勝山城」とも呼ばれました。

 

また、木付氏以降の時代では豊臣秀吉配下の前田玄以や杉原長房が入封。慶長4年(1599年)には丹後の細川忠興の所領となり、翌年に起こった関ヶ原合戦時には、旧領の回復を図った大友家の大友義統に攻められたものの、これも撃退。江戸時代には杵築藩となり、小笠原氏や松平氏が入封。そして松平氏のもとで明治維新を迎えました。

 

現在の杵築城の城址は「城山公園」として整備され、当時の石垣などが残されています。また、藩主の御殿があったとされる山麓には杵築神社が建ち、昭和45年(1970年)には3層の模擬天守が建てられ、甲冑、武具などの資料館とされています。そんな杵築城の模擬天守の最上階からは、風情溢れる街並みに加え、美しい別府湾の絶景を望む事ができます。

 

別府湾の絶景が広がる杵築城の遠望

※写真は別府湾の絶景が広がる杵築城の遠望

 

日本の古き佇まいと風情が残る杵築城下で、名所スポットを散策する

 

杵築城から上級武士たちの屋敷が並ぶ北台へは「勘定場の坂」を上っていきますが、この坂の名はかつて金銭出納の役所、勘定場があったことに由来しています。そして53段の石段を上がればそこは「北台武家屋敷通り」。ここには磯矢邸、能見邸、大原邸などの武家屋敷が立ち並んでいます。

 

北台武家屋敷通りへとつながる勘定場の坂

※写真は北台武家屋敷通りへとつながる勘定場の坂

 

勘定場の坂を上ったところにある「磯矢邸」、ここは元々杵築藩主の休息所でした。邸内には手水鉢や敷石が配され、奥深いこだわりを見せる庭や茶室などに、当時の面影が残されています。また、幕末期のものとされる「能見邸」は、藩主家の流れとされる家柄に相応しい格式。高度な建築技術をみせる屋敷や庭の様式美などは見応えも十分です。

 

北台武家屋敷通りにある磯矢邸

※写真は北台武家屋敷通りにある磯矢邸

 

そして家老屋敷の「大原邸」には茅葺屋根や回遊式庭園などが残り、貴重な文化遺産とされています。広い間口の玄関、次の間、紋入りの畳の縁、弓天井などは、当時の杵築の武家文化の高さを感じさせるもの。これらの武家屋敷群の先にも、多くの偉人を輩出した「佐野邸」、「番所の坂」などのスポットが城下町に点在しています。

 

656坪という敷地面積を誇る家老屋敷の大原邸

※写真は656坪という敷地面積を誇る家老屋敷の大原邸

 

見事な建築遺産である大原邸の横には、北台から商人町へと下る「酢屋の坂」がありますが、この土塀と石垣に挟まれた石畳の坂は、杵築城下で最も美しい坂だと言われています。また、坂を下った谷町には幕末に建てられた建物の「綾部味噌店」がありますが、ここも市指定の有形文化財となっています。ここは元々豪商、志保屋が営む酢屋であったそうですが、それが「酢屋の坂」の名の由来になっているとされています。

 

酢屋の坂から志保屋の坂を望む風景

※写真は酢屋の坂から志保屋の坂を望む風景。杵築を代表する美しい歴史遺産です

 

そして「酢屋の坂」の向かい側、谷町から南台へと上る坂が「志保屋の坂」。この2つの坂は対になっていて、この景色は様々な映画やドラマ、TVコマーシャルなどにも登場しています。これらの坂は当時の杵築城下の様子やそこに暮らす人々の営みを思い起こさせる、貴重で美しい歴史遺産となっています。

 

また、谷町から志保屋の坂を上った先にあるのが「南台家老丁」。ここには杵築藩の家老であった中根氏の隠宅「中根邸」がありますが、茶の湯が盛んであった杵築藩では度々茶会が開かれたとされ、茶室の他に座敷にも炉が切られています。

 

そんな中根邸に隣接する場所には「きつき城下町資料館」がありますが、ここでは杵築の歴史を知る事ができ、古地図から当時の町並みを再現した立体模型を目にする事ができるなど、当時の城下の様子や習俗が伺える場所となっています。他にも資料館の傍にある「一松邸」は杵築城と別府湾を望む絶景の邸宅。そしてくの字に曲がる白い石畳の坂道「飴屋の坂」は、雨の降る夕暮れに石畳が白く浮かび上がり、なんとも美しい景色を見せてくれます。

 

土壁が続く杵築の武家屋敷群の風情

※写真は土壁が続く杵築の武家屋敷群の風情

 

最後に美しい城下町、杵築は着物で散策するのも似会う町。地元には「和楽庵」というお店があり、気軽に着物や浴衣のレンタル、着付けを楽しむ事もできるようになっています。ちなみに着物で杵築城下を散策すれば、武家屋敷などの公共施設の入場料が無料となり、協力店では食事割引などの特典を受ける事もできますよ。

 

今回ご紹介した大分県杵築市の旅行スポット

 

名称:杵築城、杵築城下武家屋敷群、きつき城下町資料館
住所:大分県杵築市杵築
アクセス:JR日豊本線「杵築駅」からバスで約10分/大分空港から車の場合は約20分
入場料:杵築城 一般 300円、小・中学生 150円/磯矢邸 一般 200円、小・中学生 100円/大原邸 一般 200円、小・中学生 100円/佐野邸 一般 100円、小・中学生 50円/重光邸 一般 100円、小・中学生 50円/きつき城下町資料館 一般 200円、小・中学生 100円/一松邸 一般 100円、小・中学生 50円
※別途、上記7施設に入場できる「共通券」もあり(一般 800円、小・中学生 400円)
参考リンク:杵築市観光協会公式サイト

 

あらき 獏(ばく)あらき 獏(ばく)

情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。

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