山形の名刹・山寺へ。岩峰が聳える山壁に建つ名勝で、圧倒されるほどの絶景に触れる旅
平安時代に創建され、東北を代表する名刹となっている山形市外の「立石寺(山寺)」。ここは岩峰が聳える山壁に張り付くように大小の堂宇群が造営され、国の史跡、名勝ともなっているスポットです。今回は山形の四季折々の自然の中で山内の堂宇群を巡り、圧倒されるほどの絶景に魅了され、趣深い山寺のロマンに浸る旅へとご案内します。
※写真は山壁に展開する堂宇群
山壁に張付く堂宇群、天下の名勝とされる「山寺」の景観
山形市外の宝珠山に建つ立石寺(りっしゃくじ)は通称、「山寺(やまでら)」と呼ばれ、平安時代に円仁が開山したとされる名刹です。山麓に根本中堂や本坊、1,000余段の石段を上った山上の支院群と奥の院、山腹の岩壁に張付く開山堂、納経堂、五大堂など30余りの堂宇群が山内に展開し、国の史跡にも指定されています。そして、岩峰、岩壁、洞窟など奇観に富む山内で、大小の堂宇群が織り成している趣深い景観は、古くから天下の名勝とされ、多くの参拝客が訪れてきました。
※写真は山水画のような風情をみせる岩上の納経堂
平安時代に延暦寺の別院として創建された「山寺」の歴史
山寺(宝珠山立石寺)は平安時代の貞観2年(860年)、3世天台座主の「慈覚大師、円仁(えんにん)」によって、比叡山延暦寺の別院として創建されました。鎌倉時代には幕府の保護を受け、関東御祈祷所とされて大いに栄えますが、後に兵火で数度に亘って焼失、江戸時代に再建されています。また、元禄2年(1689年)には松尾芭蕉が「奥の細道」の紀行の際に訪れ、「閑(しずけ)さや 岩にしみ入る 蝉(せみ)の声」という名句を残しています。
※写真は岩上の開山堂と納経堂
※写真は立石寺(山寺)の根本中堂。開山の際に比叡山より分けられた「不滅の法灯」が灯り、織田信長による比叡山焼き討ちによって延暦寺の法灯が消えた際、ここから延暦寺へ分灯したと言われています
1,000余段の石段を上り、堂宇群や旧蹟を巡って絶景を体感する
JR山寺駅を出ると、正面の山壁に張付く「五大堂」と「開山堂」「釈迦堂」などの景色が望めます。そして山寺の前面を流れる立谷川を渡れば、山麓に「根本中堂」や「本坊」、「日枝神社」などが佇んでいます。「根本中堂(本堂)」(国重要文化財)は室町時代の再建と伝えられる山内の中心的建物で、木造薬師如来坐像(国重要文化財)が本尊とされ、病魔や苦悩を取り除く仏として信仰を集めています。
※写真は参道の石段
鎌倉時代の建立とされる「山門」をくぐり、参道の石段へ。鬱蒼とした木立の中にある石段は、一段一段を踏みしめるごとに1つずつ煩悩が消えるとも言われます。また、参道の途中には「姥堂」「笠岩」「芭蕉のせみ塚」などの旧蹟、そして岩卒塔婆が刻まれた「弥陀洞」などの仏蹟が散在しています。それから急斜面の上に仁王門が現れますが、この「仁王門」は嘉永元年(1848年)の再建とされ、運慶の弟子が作ったとされる仁王像が残ります。
また、仁王門の上方には性相院、金乗院、中性院、華蔵院があります。ここはかつての「十二支院」の名残で、多くの僧が修行に励んでいたところ。そして参道の最奥には「奥の院」と「大仏殿」が佇んでいます。奥の院は正式には「如法堂」と呼ばれ、慈覚大師が中国で持ち歩いたとされる釈迦如来と多宝如来を本尊としています。
そして参道左手の岩壁には「開山堂」「納経堂」「五大堂」が建っています。百丈岩の上に立つ「開山堂」は慈覚大師の御堂であり、崖下には「大師の入定窟」があります。加えて岩上にある小堂は写経を納める「納経堂」であり、山内で最も古い建物です(県重要文化財)。岩壁に懸けられた「五大堂」の舞台からは麓の町並を一望します。
ちなみに奥の院までの標高差は150m、そして山襞を縫う石段は1,000余段となっていて、上って下るだけでも1時間以上はかかります。途中の山道の石段は足元も悪く、厳しいものではありますが、山上に広がる聖域で岩壁上の堂宇群の美しさや舞台から望む絶景に触れれば、途中の道のりの苦労もきっと無上の喜びへと変わっているはずです。
※写真は五大堂から望む麓の景観
今回ご紹介した山形県山形市の旅行スポット
名称:宝珠山 立石寺(山寺)
住所:山形県山形市大字山寺
参拝時間:8:00~17:00
入山料:大人高生 300円、中学生 200円、小人100円
アクセス:JR仙山線「山寺駅」より徒歩約7分
駐車場:駐車場あり(有料)
参考リンク:宝珠山 立石寺公式サイト
あらき 獏(ばく)
情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。
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