上杉謙信ゆかりの地へ!謙信公の史跡とイベントを巡る歴史旅10選
武田信玄との川中島合戦や織田軍との手取川合戦など、戦国時代を代表する名将、軍勢と戦いを繰り広げつつも、負けを知らなかった上杉謙信。官位などの権力を求めず、私利私欲なき戦を行なった義の武将とも言われ、歴史のエピソードから伝わるその姿勢、戦いぶりに共感を覚える現代人も多い事と思います。そこで今回は上杉謙信ゆかりの地をテーマにWebアンケートを実施。ここでは皆さんから寄せられた情報をもとに、上杉謙信にまつわるスポットをご紹介していきます。
【1】林泉寺(新潟県上越市)
"上杉謙信は越後守護代であった長尾為景の四男として生まれましたが、その時は既に世継ぎが決まっていた事もあり、幼い頃に寺へと預けられたそうなのですが、その寺というのがこの「林泉寺」です。林泉寺は、謙信の居城である春日山城があった春日山の麓の禅寺で、林泉寺では7歳から14歳まで修行をしたと言われます。この林泉寺での修業は謙信の人格形成にも大きく影響したと言われ、謙信という名も修行した時の師匠であった七世住職益翁宗謙から一字もらってつけたそうです。林泉寺の山門には、謙信の直筆である「第一義」と書かれた扁額(レプリカ、本物は宝物庫に保管)が飾られています。"
所在地:新潟県上越市中門前1丁目1-1
【2】八幡原史跡公園(川中島古戦場)(長野県長野市)
八幡原古戦場 武田信玄像&上杉謙信像 / MACHIDA Hideki
"越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄は両者の土地の間、信濃北部の支配権をめぐって、現在の長野県長野市にある川中島付近で5回も戦いました。中でも全軍の8割が死傷するという大激戦であった、第4次川中島合戦の主戦場となった八幡原は、現在は八幡原史跡公園(川中島古戦場)という名前になっています。ここには八幡社があり、その境内には馬上から襲い掛かる謙信と、それを軍配で防ごうとする信玄の銅像、三太刀七太刀之跡の碑(謙信は3回斬りつけたが、それを防いだ信玄の軍配には7つの傷ができていたことから三太刀七太刀之跡と呼ばれた)、首塚などがあります。"
所在地:長野県長野市小島田町1384-1
【3】鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
"1561年、長尾景虎(上杉謙信)は関東の諸将に号令をかけ、関東の雄であった北条氏康の居城、小田原城を攻めます。しかし、甲斐の虎と呼ばれた武田信玄が信濃に出兵したことで、長尾景虎(上杉謙信)は鎌倉へと撤退したと言われています。なぜ長尾景虎(上杉謙信)は本拠地の越後へ戻らずに鎌倉へ退いたのか、それは「関東官領職」を上杉憲政から譲り受けるための儀式「拝賀の儀」を鶴岡八幡宮で行うためだったとも言われています。上杉憲政から関東官領職を譲り受けたことで、長尾姓から上杉姓へと改姓、名前も景虎から輝虎へ改名しています。長尾から上杉姓へと改姓する大事な出来事があったという点で、上杉謙信にとっても鶴岡八幡宮は縁を感じた場所だったのではないかと思います。"
所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31
【4】上杉家廟所(山形県米沢市)
"上杉謙信が亡くなり、上杉景勝の時代になってから、豊臣秀吉の命令で越後から米沢へと領地替えが行われます。その時に上杉謙信の墓はもちろん、墓のあった林泉寺という寺自体も、越後から米沢へと移ったと言われます。そしてその後、上杉景勝が亡くなってから米沢に上杉家の廟所が作られます。この廟所には上杉謙信から数えて12代の上杉家藩主の墓が集まりますが、肝心の上杉謙信の遺骸は、明治9年になってからここに移されたとされています。現在では廟所の中央に上杉謙信の墓があり、国指定の史跡にもなっている場所です。"
所在地:山形県米沢市御廟1丁目5-30
【5】上杉謙信公祠堂跡(山形県米沢市)
"上杉景勝が米沢に転封になると、景勝は米沢城内の南東の高台に上杉謙信を祀る御堂を作ったそうです。それがこの上杉謙信公祠堂跡だそうなのですが、現在は米沢城の跡地が公園となっているため、この場所にも石碑が佇むのみとなっています。上杉謙信のお墓はその後明治時代になって、米沢城が取り壊されるタイミングで近くの上杉家廟所へと移されますが、それまではここで眠っていたとのことです。
所在地:山形県米沢市丸ノ内1松が岬公園内
【6】上杉神社(山形県米沢市)
"上杉神社の創建は明治9年と比較的新しく、米沢城の跡地の一角が神社になっています。上杉神社の祭神はもちろん上杉謙信で、現在でも上杉謙信の命日とされる4月29日に例大祭が行われています。尚、神社の稽照殿(けいしょうでん)という場所には上杉家ゆかりの宝物も保管、展示されていて、米沢の街の中心とも言える場所が上杉謙信ゆかりの場所にもなっています。"
所在地:山形県米沢市丸の内1丁目上杉神社
【7】米沢市上杉博物館(山形県米沢市)
YONEZAWA CITY UESUGI MUSEUM / contri
"上杉謙信にはじまる上杉家の事が知りたいなら、米沢の上杉博物館がお勧めです。ここには織田信長が上杉謙信を恐れて贈ったという、かの有名な「洛中洛外図屏風」があり、戦国時代当時の様子を屏風の絵や解説映像からも知る事もできます。他にも上杉家にまつわる古文書なども多く展示されていて、米沢の上杉家に伝わった歴史の数々に触れる事ができます。ここは市営の博物館なので入りやすくて料金もそんなに高くはありません。"
所在地:山形県米沢市丸の内1-2-1
【8】謙信公祭(新潟県上越市で毎年開催)
"謙信が本拠地とした新潟県上越市で行われる祭りです。主な行事としては、鎧兜をまとって、謙信公や謙信の部下が街中を練り歩く出陣行列、謙信を祭った春日山神社で行われる、謙信以来の出陣儀式である武帝式、史上稀にみる激戦として有名な第四次川中島を再現した劇、そして謙信の子孫が移り住んだ山形県米沢市の米沢藩古式砲術保存会による火縄銃の砲術披露などなどです。近年は大河ドラマ「風林火山」で上杉謙信役を務めた歌手のGACKTさんが、謙信公祭でも謙信となって出陣行列に参加しているので、ファンの人も多く訪れる祭りです。"
"春日山城史跡広場で行われる上杉軍、武田軍に分かれての川中島の合戦の再現はかなりの見所です。GACKETさんの謙信公役もとてもかっこよかったです。イベントでは子供武者行列もあるのですが、子供ながらにも凛々しく、可愛くてとても面白かったです。ちなみに川中島の合戦の部分は無料席で見たのが失敗でした。今度行く際はぜひ有料席で見たいです。戦国時代が好きな方であれば、陣幕前での合戦の再現はとても楽しめると思います。当日は観客人数もすごく多いので子供連れの方はトイレと暑さ対策に気をつけたほうがいいと思います。"
【9】米沢上杉まつり(山形県米沢市で毎年開催)
"山形県米沢市の藩祖は上杉謙信であり、米沢市は謙信ゆかりの地としても知られています。市内にある上杉神社には上杉謙信が祀られていて、その神社の例大祭として行われるのが「上杉まつり」です。毎年上杉謙信の命日である4月29日から5月3日までの5日間で行われ、最終日には歴史に残る「川中島の決戦」が再現されています。総勢700人の上杉軍と武田軍が河川敷に集まって繰り広げる戦闘シーンは大迫力です。きっと大人だけでなく、子供や外国人の方にも楽しんでもらえると思います。上杉謙信ファンの方にはぜひ一度訪れて欲しい祭りです。"
【10】猿ケ京温泉の上杉謙信武者行列(群馬県利根郡みなかみ町で毎年開催)
"猿ケ京温泉の辺りは戦国時代、宮野の里と呼ばれていました。上杉謙信は本拠地の越後から関東へ出陣する時にこの辺りを通っていたそうです。伝わる話では、上杉謙信が宮野の里に泊まった際、ごちそうを食べようとしたのに歯が8本抜け、箸が1本しかないという変な夢を見たそうです。謙信がそれを家来に話すと、関八州を手中にできる良い夢だと教えられ、気をよくしてこの地を猿ケ京と名付けたと言われています。それを記念して、毎年10月に上杉謙信に扮した武者行列が行われ、観光客や湯治客を喜ばせています。まんてん星の湯広場という場所で様々なイベントも催され、地元の人たちも楽しんでいます。"
レキタビ編集部
歴史スポット巡りや観光、老舗の歴史飯を味わう旅って案外楽しい!と言って頂けるような情報を発信したいと思います。