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戦国から維新までを生き抜いた佐賀城、鍋島氏ゆかりの城の歴史と見所を知る旅

記事公開日:2016/05/10

佐賀市の中心に位置する「佐賀城」。この城には戦国時代から、幕末、維新期の輝かしい時代までを生き抜いた、独自の歴史観が息づいています。今回はかつて龍造寺氏の居城となり、鍋島氏が完成させた佐賀城の歴史を紐解き、この城に残る文化財の数々や見所、ゆかりのスポットなどをご紹介していきます。

佐賀城、鯱(しゃち)の門

※写真は鯱(しゃち)の門。現存する数少ない往時の遺構で、国の重要文化財にも指定されています

 

亀甲乱積の手法で積まれた美しい南西隅櫓台

※写真は切り石による亀甲乱積の手法で積まれた、美しい南西隅櫓台

 

別名「沈み城」とも呼ばれた、かつての佐賀城

 

佐賀城は幾重にも濠を巡らした梯郭式の平城で、攻撃にあった際には主要な郭以外を水没させ、敵の侵攻を防ぐとも言われたため、別名「沈み城」とも呼ばれました。城の本丸の周囲は幅40間(約70m)の濠と高い土手で囲まれ、西北隅には4層5階の天守があったとされています。

 

往時の佐賀城の縄張り

※写真は往時の佐賀城の縄張り。広大な濠の中に浮かぶ城。右下が本丸

 

しかし、江戸時代の度重なる火災や、明治初期の佐賀の乱により、天守以下の大半の建物は焼失し、鯱の門と続櫓、本丸御殿の御座間のみが現存し、国や市の重要文化財に指定されています。しかしながら現在は、本丸御殿や濠、土塁などが整備、復元されて、往時の佐賀城の姿を取り戻しています。

 

復元された本丸御殿

※写真は復元された本丸御殿

 

本丸御殿の外御書院

※写真は本丸御殿の「外御書院」。一の間から四の間まで、四室と廊下を合わせると320畳の大空間になります。ここでは世継ぎのお披露目など、藩の公式行事が行われ、天保9年(1838年)の御殿披露の際には千人の家臣が集まったと言われます

 

龍造寺氏から鍋島氏へ。戦国時代から幕末、維新期の輝かしい時代を生き抜いた城

 

佐賀城は戦国期の肥前の太守、龍造寺隆信の居城であった村中城を、慶長期に藩主となった鍋島氏が近世城郭として拡張、整備したもので、慶長16年(1611年)に完成しています。戦国時代の元亀元年(1570年)には、豊後の大友宗麟が大軍で佐賀へ攻め寄せ、龍造寺隆信はこの村中城(佐賀城)に籠城しました。この時、窮地に追い込まれた龍造寺軍の重臣、鍋島信正(佐賀藩祖、鍋島直茂)は大友軍の本陣、今山を夜襲し、総大将の大友親貞を討ち取って大友の大軍を退けています(今山の戦い)。

 

これ以降、龍造寺隆信は九州北部で覇を唱えましたが、後に隆信が島津、有馬軍との戦いで戦死(沖田畷の戦い)してしまい、鍋島信正が実権を握りました。この時に龍造寺氏の断絶もあって、鍋島氏が龍造寺氏の遺領を継承し、佐賀藩の主家へと発展しています。

 

幅40間(70m)の広大な濠

※写真は佐賀城を囲む幅40間(70m)の広大な濠

 

そして江戸時代に入ってからの佐賀藩は、福岡藩と交代で長崎警備を命ぜられ、城下に長崎街道が通ることもあって、異国文化に接する機会に恵まれました。この影響で藩内には独自の文化も芽生え、幕末の10代藩主、鍋島直正(閑叟)は西洋技術を取り入れて産業育成に力を注ぎ、日本初の製鉄所を完成させて鉄鋼、大砲、蒸気機関などの開発を行い、佐賀藩を近代化しています。また、明治維新を推進した薩長土肥の一翼を担い、副島種臣、江藤新平、大隈重信、佐野常民らの人材も輩出しました。

 

しかし、明治維新を経た明治7年(1874年)、江藤新平を中心とした「佐賀の乱」が発生し、佐賀城は反乱軍によって占拠されてしまいます。この時の戦闘で多くの建物を焼失してしまい、鯱の門には当時の弾痕も生々しく残されています。

 

国の重要文化財・鯱の門や復元された本丸御殿。佐賀城の見所を知る

 

現在の佐賀城一帯は佐賀城公園として整備されていて、桜やツツジ、蓮などが季節の彩りを見せる散策コースになっています。そして二の丸跡の広場から豪壮な「鯱の門」をくぐれば、広々とした本丸へと至ります。佐賀城の本丸御殿は平成16年(2004年)に、天保年間の「佐賀城本丸差図」や古写真を基に復元されましたが、内部は佐賀城本丸歴史館となっていて、多彩な歴史資料が展示されています。また、御殿に連結する最奥には「御座間」と呼ばれる藩主の居間もあり、現存する天保期の建物として、市の重要文化財にも指定されています。

 

佐賀県最古の博物館、徴古館や佐嘉神社、松原神社。佐賀城周辺の歩き方

 

佐賀城の北、外濠に面する場所には「徴古館(ちょうこかん)」もあります。この徴古館は鍋島家によって創建された県内最古の博物館で、初期の洋風建築として国の登録有形文化財にもなっています。ここには歴代藩主の具足や佩刀など、鍋島家に伝わっている歴史資料や武具、美術工芸品などが集められ、公開されています。

 

鍋島家博物館の徴古館

※写真は鍋島家博物館の徴古館

 

また、徴古館の東隣には「佐嘉神社」が鎮座しています。この佐嘉神社には10代藩主の鍋島直正と、11代藩主の鍋島直大が祀られています。前述の鍋島直正(閑叟)は佐賀藩の近代化を推し進めて人材を輩出し、後の日本の近代化にも貢献した英明。そして佐嘉神社境内の「松原神社」は、藩祖・鍋島直茂とその先祖を祀り、「日峯さん」の通称で今も親しまれています。

 

鍋島直正らを祀る佐嘉神社

※写真は10代、鍋島直正らを祀る佐嘉神社

 

鍋島直茂と祖を祀る松原神社

※写真は藩祖、鍋島直茂と祖を祀る松原神社

 

今回ご紹介した佐賀・佐賀城を巡る旅のスポット

 

名称:佐賀城本丸歴史館
住所:佐賀市城内2-18-1
アクセス:佐賀市営バス「佐賀城跡」すぐ
駐車場:無料駐車場あり
開館時間:9:30~18:00
参考リンク:佐賀城本丸歴史館

 

名称:徴古館
住所:佐賀市松原2-5-22
アクセス:佐賀市営バス「県庁前」すぐ
駐車場:専用駐車場あり
開館時間:9:30~16:00
入場料:300円 休館:日祝日
参考リンク:徴古館公式サイト

 

名称:佐嘉神社
住所:佐賀市松原2-10-43
アクセス:佐賀市営バス「佐嘉神社前」すぐ
駐車場:社頭駐車場あり
参考リンク:佐嘉神社公式サイト

 

あらき 獏(ばく)あらき 獏(ばく)

情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。

 

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