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神話から繋がる地・出雲大社と日御碕神社、国譲りで知られるパワースポットを巡る歴史旅

記事公開日:2015/10/28

人と人のご縁を結ぶ神が祀られる出雲大社。60年ぶりとなる遷宮が執り行われ、神話の話を裏付ける遺構も発見されたというこの地を巡る歴史旅をご紹介。今回は出雲大社を経て日本の夜を護るという日御碕神社も合わせてご紹介していきます。

神話から繋がる地・出雲大社と日御碕神社、国譲りで知られるパワースポットを巡る歴史旅


勢溜(せいだまり)の大鳥居をくぐって神域へ

 

出雲大社。勢溜(せいだまり)の大鳥居をくぐって境内へ入ると、そこはもう神域の静謐な空気に変わると言われます。この出雲大社は、人と人のご縁を結ぶ神で知られる、大国主大神を祀っています。

 

勢溜の大鳥居をくぐって境内へ

 

出雲大社のしめ縄①

 

出雲大社のしめ縄②

 

有名な日本最大級のしめ縄、その重さは4.4トン

 

境内西の旧参道に近い場所には「神楽殿」があります。長さ13.5m、重さ4.4トンという日本最大級のしめ縄、その迫力に思わず圧倒されてしまいます。さらに270畳という広さを持つ大広間では、神楽や祈祷、結婚式、神迎祭なども執り行われています。

 

旧暦の10月は八百万の神が集う「神在月」

 

平成27年は11月21日からの8日間、全国の神々が出雲大社へと集まり、様々な「ご縁」について話し合う「神議(かむはかり)」が行われます。これは稲佐の浜に神々を迎える神事「神迎祭」から始まり、「神在祭」などの祭祀が続き、28日の「神等去出祭(からさでさい)」をもって神々を見送ります。

 

出雲大社、60年ぶりの遷宮

 

60年ぶりとなる「平成の大遷宮」

 

出雲神社では昭和28年以来、60年ぶりの遷宮が執り行われています。平成20年(2008年)の4月20日に御神体が御仮殿へと遷座。それから5年をかけて本殿の屋根の吹き替え、瑞垣内社殿の修造が行われ、平成25年5月に御神体が本殿へと戻られました。その後も境内内外の修造が続けられており、平成28年3月に全てが終了する予定だそうです。

 

遷宮には社殿の保存やその技術の継承という意味もありますが、ご神体が鎮座した起源となる時のパワーへ回帰するための大切な神事なのだそうです。

 

奇しくも同時期には伊勢神宮でも20年ごとの式年遷宮が行われました。そして伊勢神宮と出雲大社の時期的な重なりが話題にもなりました。巷では伊勢神宮と出雲大社の遷宮が重なったことで、パワーが増幅して何か良いことがあるのでは?と盛り上がった部分もあるようですね。

 

出雲大社の拝殿へ

 

出雲大社の銅鳥居の向こうには「拝殿」があります。遷宮の時には御神体が入り「御仮殿」となったそうです。

 

出雲大社、拝殿裏の八足門

 

拝殿裏の「八足門」。この奥に御神体のある本殿があります。一般の参拝客は中に入る事ができませんので、ここから参拝をします。

 

神話から見える出雲大社の創建の話

 

神代の時代、大国主大神は豊穣なる葦原中国(神々が住む天上の世界と死後の黄泉の世界の中間、つまり現在の地上)を作り治めていました。天照大御神は我が孫に国を治めさせたいと申し出ますが、大国主大神は「ここは我が元から居るところ」だと断ります。

 

「それは理にかなう返答」と納得し、今度はしっかりと条件を出し、この世は皇孫が治めるが、幽界(神)の神事は大国主大神が受け持つこと。さらに「柱は高く太く、板は広く厚くした宮を造りましょう」と約束した。大国主大神はその提案を受け入れ、求めに応じて国を譲り、これが出雲大社の起源と言われます。(古事記、日本書紀の話)

 

これは大国主大神の「国譲り」であり、天照大御神の孫(ニニギノミコト)が高千穂に「天孫降臨」する神話でもあります。

 

出雲大社の境内

 

出雲大社で神話を裏付ける遺構が発見された

 

古事記編纂時の和銅5年(712年)の頃、大社創建の神話はありました。しかし実際は?となるとその話は謎に包まれていました。また、平安初期の天禄元年(970年)には東大寺の大仏殿より大きい、16丈(48m)もの高さがあると言われ、出雲国造・千家家に伝わる「金輪(かのわ)御造営指図」には柱の平面図が残されていたと言いますが、これも伝承の域と考えられ、その現実性についてはずっと疑問視されていました。

 

出雲大社、岩根御柱を伝える写真

 

しかし平成12年(2000年)に驚くべき発見がありました。地中から1.35mの木を3本束ねて直径3mの柱とした遺構がその姿を現したのです。それは絵図に書かれた通りの巨大な柱跡で、当時は「世紀の大発見」であると話題になりました。それは48mもの高さの巨大御社の姿を裏付けるものとなりました。

 

出雲大社、巨大本殿の柱

 

高層の本殿は平安時代から鎌倉時代(1031年~1225年)にかけて、少なくとも5回倒壊しています。当時の建築技術の限界であったのか、その後は1774年造営の高さ24mの本殿が現在に伝わっています。今回発掘された遺構は、鎌倉時代・宝治2年(1248年)造営の本殿跡とみられています。

 

神話と大和朝廷を繋げたものとは?

 

持統天皇の時代、壬申の乱(672年)以降、各地の混乱を鎮め、統一された国家を目指す動きがあったと言います。日本書紀における出雲の地の記述の変化や、纏向遺跡における伊勢神宮と出雲大社の両建築様式の遺跡など、他豪族との融和を図った痕跡が見られるというのです。

 

国譲りの神話で天照大御神を祀る伊勢神宮と、大国主大神を祀る出雲大社とに分かれましたが、実際には奈良時代以降、共存する体制へと変化していったと言われます。そして日本書紀の編纂では、この持統天皇時の政権としての意向がかなり追加されたとも言われています。

 

ちなみに出雲国造家(こくそうけ)の千家(せんげ)家は84代続く神の末裔とされています。平成26年(2014年)、高円宮家の次女、典子さまと出雲大社権宮司の千家国麿さんの結婚式が出雲大社で行われ、一躍話題となった家系でもありました。

 

出雲大社のさざれ石

 

神楽殿へと向かう道筋にあるのが「さざれ石」。岐阜県春日村の石灰質角礫岩が奉納されたものです。ここにもパワーが宿るという話もあります。

 

出雲大社から日御碕神社へ向かう

 

日御碕神社①

 

日御碕神社②

 

日御碕神社③

 

「日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)」は出雲大社の西北、ほぼ6kmの日本海に突き出た日御碕に位置し、天照大御神を祀る「日沈宮」と、スサノオを祀る「神の宮」の2つの社を持つ神社です。天平7年(735年)の乙亥の勅で、伊勢神宮の「日の本の昼を守る」に対し、日御碕神社は「日の本の夜を護らん」と勅命されたという逸話があります。

 

日御碕灯台

 

近くには世界灯台100選にも選ばれた「日御碕(ひのみさき)灯台」がそびえています。外壁は石造り、内壁はレンガの美しい灯台で、明治36年から海の安全を守り続けています。内部の円形階段を上ると日本海が一望できるようになっていて、44mという日本一の高さになっています。ここは風が強いので、少し気を付けて登ってみましょう。

 

日御碕灯台の上から海を眺める

 

縁結びの地「出雲大社」は人気のスポットです。神在祭の際には多くの観光客で賑わいます。古代から現代に繋がる神話の地を訪れて心を清め、人と人のご縁を深めて願いを叶えてくれる、パワー溢れる地でもあります。ここはぜひ一度、皆さんも訪れてみて欲しい場所だと思います。

 

今回訪れた歴史スポット

 

名称:出雲大社(いずもおおやしろ)
住所:島根県出雲市大社町杵築東195
アクセス:一畑電車出雲大社前駅より徒歩約10分

名称:日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)
住所:島根県出雲市大社町日御碕455
アクセス:JR出雲市駅からバスで45分、出雲大社からバスで20分

 

名称:出雲日御碕灯台
住所:島根県出雲市大社町日御碕478
アクセス:JR出雲市駅からバスで45分、出雲大社からバスで20分

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

 

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