恵林寺、武田家ゆかりの菩提寺の見所と美しさを知る歴史旅(境内の魅力編)
山梨県甲州市に位置する古刹「恵林寺」。夢窓疎石が開き、武田信玄が快川和尚を迎え、心頭滅却すれば火も自ら涼しという言葉を生んだこの場所を巡る歴史旅。今回は前編と後編に分けて、知られざる恵林寺の見所や魅力をお伝えしていきます。
中央自動車道の勝沼ICから約30分、ぶどう園が広げる景色をすり抜けて北へ。ここは武田家の菩提寺として知られ、夢窓疎石が作庭した庭園がある事でも名高く、心頭滅却すれば火も自ら涼しという言葉が生まれた場所でもある臨済宗妙心寺派の古刹「恵林寺」。
恵林寺の入り口正面で一際存在感を放っているのが「総門(通称:黒門)」。真っ黒く、引き締まった風合いの門は力強さを感じさせ、上を見上げれば「雑華世界」という書が掲げられる。そしてこの書の奥には真っ直ぐと表参道が伸び、境内へと続きます。
長い表参道を歩くうちに段々と心が静まり、周囲の木々、自然の姿が美しく見えるようになってくる。そんな心持ちを感じた先に現れてくるのが鮮やかな朱色に塗られた「赤門」。力強い印象の黒門とは全く異なり、まるで光るような存在。空の青と朱色のコントラストがまた美しく感じられます。
色鮮やかな赤門をくぐれば、一面に広がる庭園の景色。丁寧に手入れされた松の木をはじめ、ほんのり色づいた木々の姿が目に入ってきます。
そしてこちらは恵林寺の「山門」。この威風堂々とした山門こそ、戦国時代、甲斐の国に攻め込んだ織田軍が包囲し、快川紹喜をはじめとした僧を二階に閉じ込め、火を放ったという門です。快川和尚はこの山門の二階で炎に包まれながら、心頭滅却すれば火も自ら涼しという言葉を発したと言います。
恵林寺の境内に建つ快川紹喜の像。12歳で仏門に入り、臨済宗の総本山である妙心寺の43世住職となり、その後は武田信玄の招きに応じて恵林寺に入ったという快川和尚。その後の恵林寺は大きく寺勢を高めていったと言われます。
恵林寺の境内「三重塔」周辺へ。高く伸びた木々の間から差し込む光。華美過ぎず、質素すぎない三重塔が凛とした佇まいを見せる。ここにはかつて南近江の守護大名であった六角義賢の子で、織田信長と争って追われた佐々木承禎(六角義定)が匿われ、恵林寺はその罪を問われて焼き討ちの憂き目にあったとも伝えられます。
境内には当時の織田軍による焼き討ちで犠牲になった人々を弔う石塔も。石碑には「天正亡諸大和尚諸位禅師安骨場」とありました。
観応の詠歌という石碑も。桜の名所としても知られる恵林寺は、春になれば美しい桜に包まれていきます。
黒門、赤門、山門の3つの門を超え、境内の奥中央に位置するのが「開山堂」。ここには夢窓疎石、快川和尚に加え、徳川家康の命で恵林寺の再興に務めたという末宗和尚の像が安置されています。
境内の左奥に広がるのは「武田不動尊」という場所。この奥には恵林寺の檀家の方々の墓地もありますが、武田家にまつわる有名人のお墓もありました。
武田不動尊の中にあるこちらのお墓は、武田信玄の父であり、信玄によって追放されてしまった「武田信虎」の墓所でした。ちなみに現在の山梨県甲府市を、「甲府」と名付けたのはこの武田信虎だという説もあります。甲斐の国の府中、それが甲府という言葉の由来になったと言われます。尚、武田信虎の墓所は甲府にもありますが、菩提寺である恵林寺にも武田家歴代の家臣たちとともに眠っていました。
今回は前編として、広大な恵林寺の境内を中心に見所をご紹介してきましたが、次回の後編では武田信玄公の墓所や夢窓疎石が作庭した庭園、大本堂などの見所をご紹介していきたいと思います。
今回訪れた歴史スポット
名称:恵林寺
住所:山梨県甲州市塩山小屋敷2280
拝見時間:8:30~16:30(年中無休)
駐車場:無料駐車場あり
ニホンタビ編集部
歴史スポット巡りや観光、老舗の歴史飯を味わう旅って案外楽しい!と言って頂けるような情報を発信したいと思います。
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