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足軽から天下人へ!戦国一の出世頭・豊臣秀吉に縁のある京都スポット6選

記事公開日:2015/08/07

言わずと知れた戦国時代のスーパースター・豊臣秀吉。農民の出身から天下統一を果たしたサクセスストーリーは、「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」の句からも分かるように、無類の努力と度量の大きい人柄で成し遂げたとされ、共感を覚える現代人も多いでしょう。また、中国大返しをはじめ数々の伝説や逸話が残っており、魅惑的な人物像も垣間見えます。そんな秀吉にまつわる京都の名所をご紹介していきます。

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【1】聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)

 

聚楽第に関するイメージ画

 

1587年、関白となった秀吉が京都で政務を行うために築いた政庁兼邸宅が聚楽第。東西600m、南北700 mという広大な敷地の周りに堀を巡らせ、金箔瓦や天守などを用いた豪華絢爛な平城を築きました。秀吉邸の周りには親族や前田利家をはじめとする大名の屋敷を構え、まさに天下を手中に収めたことを誇示するような造りだったと言われます。

 

秀吉は1591年、甥の秀次に聚楽第を譲りますが、4年後の1595年に秀次を追放して切腹させた後はこの聚楽第も破壊。竣工からわずか8年で取り壊されてしまったため、謎の多い城でもあります。ちなみに大徳寺の唐門は聚楽第の遺構とされています。また、伝承の域は出ないものの、妙覚寺の表門や西本願寺の飛雲閣なども聚楽第から移築されたとされています。

 

1992年の発掘調査で聚楽第のものと見られる大量の金箔瓦が出土。現在はそこから程近い上京区中立売通浄福寺東に「聚楽第址」の石碑が建っています。

 

【2】醍醐寺

 

醍醐寺 櫻花
醍醐寺 櫻花 / othree

 

三寶院
三寶院 / Richard, enjoy my life!

 

1598年、秀吉が約1,300人を招いて開いた盛大な宴が「醍醐の花見」。その舞台となったのがこの醍醐寺です。本坊・三宝院の庭園は秀吉自らが設計をしたと言われ、存在感を放つ大きな石や大胆な配置は桃山文化の勇壮で華やかな特徴がよく表れています。中でも、巨大な立石から水を落とす「三段の滝」、亀の静寂と鶴の躍動を表現した「亀石・鶴石」は有名です。

 

醍醐の花見は4月20日、約700本もの桜が満開となった頃に催され、茶会や歌会で大いに盛り上がったと言われています。現在でもこれにちなみ、毎年4月の第2日曜日には「豊太閤花見行列」が開催されています。

 

醍醐寺には他にも、京都最古の木造建築である五十塔や朱色の橋が美しい弁天堂など重要文化財や国宝が約4万点もあり、1994年には世界遺産にも登録されました。また、仁王門から伸びるモミジのトンネル(秀吉が秋に紅葉狩りを企画して移植したが、死去したため未開催)をはじめ、風光明媚な自然も見どころの1つ。京都市の中心部からは少し離れていますが、一度は足を運んでみたいスポットの1つです。

 

【3】豊国神社

 

Toyokuni Shrine Karamon
Toyokuni Shrine Karamon / Japanexperterna.se

 

1598年、秀吉が伏見城で生涯を閉じた後、一旦は東山阿弥陀ヶ峯の頂に埋葬されたと言われますが、その翌年には中腹に完成した豊国神社に祀られました。

 

毎年4月と8月には朝廷の勅使や豊臣家、諸大名たちが集まり、秀吉の死を偲ぶ豊国祭が開かれ、特に7回忌の時には盛大な式典が催されたと言われます。しかし、1615年の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると、徳川家康によって取り壊されてしまいます。現在のこちらの社殿は、明治天皇が1880年に再建させたものとなっています。

 

境内には他にも、伏見城の遺構と言われる大唐門や秀吉の遺品などを集めた宝物館があります。農民から天下人にのし上がった秀吉にあやかって、現在では「出世の神様」としても名高い場所となっています。

 

【4】高台寺

 

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CIMG8396 / senngokujidai4434

 

秀吉の正室・ねねが、亡き夫を偲びつつ晩年を過ごしたのが高台寺です。寺内の西側にある圓徳院には秀吉と暮らした伏見城から、化粧御殿と庭園を移築。思い出の景色を再現した造りとなっています。

 

秀吉とねねは、当時の武士としては珍しい恋愛結婚のカップル。身分が高く美しいねねと、貧しくて「サル」とあだ名の付く容姿だった秀吉。まさに美女と野獣のような2人が、お互いの人柄に惹かれ、終生の愛を育んだ歴史が伝わってくるかのような寺院です。

 

また、高台寺の西側、御影石を敷き詰めた石畳の道は「ねねの道」と呼ばれており、人力車が行き交う京都らしい風景を楽しむ事もできます。

 

【5】方広寺

 

方広寺のイメージ画像

 

秀吉が当時焼失していた東大寺の大仏に代わる大仏を安置するため、1586年から10年もの歳月をかけて建てられたのが方広寺です。しかし完成した翌年には慶長伏見大地震で大仏が倒壊。これに対して秀吉は「自らの身も守れないのか」と大仏に憤慨したとも伝えられています。

 

また、方広寺には梵鐘も造られ、この鐘に彫られていた「君臣豊楽」「国家安康」の文字が「豊臣を君主とし、徳川家康の名を分断した」として徳川家の怒りを買い、豊臣家滅亡のきっかけを作ったとも言われています。現在はこのうち「国家安康」の鐘が現存しており、東大寺、知恩院の鐘と併せて「日本三大名鐘」の1つに数えられています。

 

【6】北野天満宮

 

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CIMG8824 / senngokujidai4434

 

北野天満宮 北野天滿宮
北野天満宮 北野天滿宮 / cyesuta

 

菅原道真を祀った北野天満宮は、「学業の神様」として名高い神社ですが、1587年に秀吉はここで大規模な茶会を開きました。この時の「北野大茶会」は、九州平定で名を馳せた秀吉が、朝廷や世間に対して自らの権威を示すために開かせたイベントとも言われます。大茶会では秀吉自らが亭主を務め、身分の分け隔てなく参加が許されるなど、当時としてはたいへん画期的でユニークなイベントでした。

 

名物の茶器、茶道具が並んだ北野天満宮の境内で、秀吉ほか千利休をはじめとする有名な茶人たちが、総勢1,000人もの参加者をもてなしましたが、このイベントはなぜか1日で中止となってしまいます。その理由としては、初日に肥後国人一揆が発生し、秀吉が不快感を覚えたからという説が有力とも言われますが、他にも「秀吉が1日で満足したから」「予想より人が集まらなかったから」などなど、様々な見方もあり、現在でもその真相は明らかになっていません。

ふじわら りえ

子育て主婦兼ライター。思わず誰かに話したくなる、そんな歴史旅の記事をお届けできるようにしたいと思っています。

 

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