南海道一の名城・高知城、土佐藩主・山内一豊が築き上げた100名城、12天守の城を巡る旅
関ヶ原の戦いの功績により、土佐一国を拝領した山内一豊が築き上げた城「高知城」。この城は明治時代の廃城令や太平洋戦争の戦災を免れ、天守と御殿、追手門など多くの建造物が現存し、国の重要文化財にも指定されています。今回は日本100名城にも選定されている南海道一の名城を巡る旅へとご案内します。
※写真は高知城の天守
高知城は天守、御殿など、本丸建造物の全てが現存する唯一の城
高知市街地の中央に位置し、大高坂山上にある「高知城」。ここは別名で鷹城とも呼ばれ、関ヶ原の戦いの功績によって土佐一国24万余石を拝領した、山内一豊が築き上げた城です。一豊は南を流れる鏡川、そして北の江ノ口川をそれぞれ外堀とし、浦戸湾に面した大高坂山に梯郭式の平山城を築きました。この城は慶長6年(1601年)に築城が始まり、慶長8年(1603年)には本丸と二ノ丸が完成して入城。それ以降、山内氏が藩主としてこの地に留まり、明治維新まで16代に亘って続きました。
江戸時代の享保12年(1727年)には城下が大火に見舞われ、高知城も追手門以外、ほとんどの建物を焼失しました。しかし、宝暦3年(1753年)には築城当時の姿へと再建され、現在目にする事ができる高知城の建造物の多くは、この時に建てられたものとされています。
そして時を経て明治時代の廃城令、太平洋戦争の戦災を免れた高知城は、築城から400年、再建から250年以上を経て、天守、本丸御殿の懐徳館、西多聞、東多聞、詰門、廊下門、追手門など15棟もの建造物が現存、国の重要文化財にも指定されています。また、高知城の城跡は国の史跡とされ、「日本100名城」にも選定されています。この高知城は天守や御殿など、本丸の建造物が全て残る、全国唯一の稀有な城としても知られています。
※写真は天守と本丸御殿の懐徳館
この高知城のもともとの始まりは、南北朝時代に築かれた大高坂山城とされています。戦国時代の土佐国守であった長宗我部元親が、一時期この大高坂山城を本拠としています。しかし、関ヶ原の戦いにおいて元親の子、長宗我部盛親が西軍に与して改易となり、山内一豊が遠州・掛川から入封、大高坂山城を近世城郭へと整備しました。
※写真は二の丸と本丸を繋ぐ詰門。2階は二の丸と本丸を結ぶ廊下橋で、家老たちの詰所にもされていました
歴史ロマン溢れる南海道一の名城、高知城の歩き方
高知城の城域は現在、高知公園として開放されています。「追手門」へは巨大な石垣の桝形から入り、板垣退助像を見ながら石段を上ると杉の段へ。そして野面積みの美しい石垣を通り抜けて鉄門跡から三の丸へ、その眼前には優美な天守が聳えています。さらに石段を上っていくと二の丸へ。二の丸からは「詰門」の2階、渡り廊下を通ってから本丸へ。廊下門の左右には東多聞と西多聞が連なっています。
高知城の天守は高さ18.5m、4重6階の独立式望楼型。現存する12天守の1つであり、安土桃山時代の様式を残す古風な造りで、千鳥破風と唐破風が優美な印象を生み出しています。天守に隣接している本丸御殿の「懐徳館」は、築城当初に山内一豊と妻の千代(見性院)が暮らした場所とも言われます。
また、追手門の前には「高知城歴史博物館」が。ここは土佐の歴史と文化の拠点として開館し、土佐藩の歴史資料や大名道具を中心に展観できるようになっています。そして城下に降りれば幕末の藩主、山内容堂ゆかりの「旧山内家下屋敷長屋」や「龍馬の生まれたまち記念館」「武市半平太旧宅」など、坂本龍馬をはじめとした幕末の志士たちの旧跡が散在しています。
※写真は搦手門の黒鉄(くろがね)門
※写真は高知城址に建つ山内一豊像
今回ご紹介した高知県高知市の旅行スポット
名称:高知城
住所:高知県高知市丸ノ内1丁目2-1
アクセス:JR四国土讃線「高知駅」より路面電車(とさでん)「高知城前」徒歩約5分
天守、本丸御殿(懐徳館)の開館時間:9:00~16:30
入館料:18歳以上420円、18歳未満は無料
参考リンク:高知城公式サイト
名称:高知城歴史博物館
住所:高知県高知市追手筋2-7-5
アクセス:JR四国土讃線「高知駅」より路面電車(とさでん)「高知城前」徒歩約3分
開館時間:9:00~17:30
入館料:常設展500円、企画展(常設展含む)700円
参考リンク:高知城歴史博物館公式サイト
あらき 獏(ばく)
情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。
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