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平家の落人伝説が残る!全国各地の平家秘境スポット12選

記事公開日:2015/07/06

日本の歴史史上、最も有名な戦いの1つが「壇ノ浦の戦い」。この戦いを経て武家社会への道を切り開いていった源氏と、滅亡の道を辿ってしまった平氏。そしてこの後日本各地には、「平家の落人伝説」と呼ばれる伝説が語られるようになりました。そこで今回は、日本各地に残る平家の落人伝説をテーマにWebアンケートを実施。皆さんから寄せられた落人伝説をまとめてピックアップしていきます。落人伝説が残る有名なスポットから、知られざるスポットまで、様々な逸話を知る事ができますよ。

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大分県玖珠郡九重町の松本地区と周囲の山々

 

"大分県玖珠郡九重町の松木地区、「平家山」の周辺には平家の落人伝説が残っています。壇ノ浦の合戦に破れ、九州各地の山奥に逃げこんだと言われ、ここ豊後の玖珠盆地一帯にも、平家一門の武将と女子供300人余りが逃げ落ち、更なる危険を避ける為に3つの山奥に分かれて生き延びると同時に、周囲一帯に住み着いたとも言われています。また、家の再興を期して財宝を隠したと言われる山もあります。彼らの名前に因んで、付近の一帯の山は「平家山」「宝山」「大祖山」などと名付けられたそうです。"

 

福岡県久留米市田主丸町

 

"以前、女性向けゲームに登場する「平知盛」が好きな友人から、福岡県久留米市田主丸町に「平知盛の墓」があるので連れて行って欲しいと言われて探しました。様々なサイトを見ましたが場所が特定出来ず、田主丸町の山裾の集落を車で1時間以上回りましたが、なかなか見つからず・・・。そして道行くおじいさんに諦め半分で尋ねてみたところ、「知盛様のお墓なら~」と直ぐに教えてくれました。知盛様と地元のおじいさんが呼んでいるということにかなり驚きました。教えて貰った「平神社」の中にあるお墓は、想像よりもきちんとしたものでした。そこには神社の成り立ちの話の看板も立ててあり、壇ノ浦の戦いで海に身を投げたはずの平知盛の亡骸は上がってこず、安徳天皇の乳母達と一緒に久留米の瀬の下(水天宮総本山辺り)に逃げてきて、平氏の味方がいる田主丸まで逃げてきたが、源氏に寝返った人々に殺され、この場所に墓が建てられたとありました。この時、逃げた平氏の嫁子孫は山を越え、八女市に移り「服部」姓を名乗っているのだそうです。"

 

愛媛県八幡浜市保内町

 

"壇ノ浦の戦いの後に瀬戸内海沿いに逃げ延びた平有盛系の一族は、現在平家谷と呼ばれる場所でひっそりと暮らしたそうです。この地では農作業で暮らしたものの、3年ほど経ったある日、鳥の群れを源氏の追っ手と誤解し、平家の血を残すために2人を残して自害したそう。今の平家谷と言えば木々が深く茂る谷ですが、奥にある朱塗りの平家神社を目指して歩く途中には、美しい川があって瀬戸内海の海が青く広がる環境がそのまま残されている場所です。これからの季節は、流しそうめんや魚釣りがお薦めです。深い森と川の中で、歴史に思いを馳せながら頂く焼きたての魚も逸品です。"

 

愛媛県四国中央市金生町切山地区

 

"この地域は源平合戦の舞台となった香川県の屋島からも近く、文献によると一度徳島の祖谷地区に逃げた後、さらに義経の追手から逃れてこの地域にとどまったようです。ここには「真鍋家住宅」という愛媛県最古の民家があり、国指定の重要文化財になっている史跡もあります。この古民家は平清房(平清盛の八男)の家系と伝えられていて、この地区には平家の落人に関する遺跡、安徳の窪・下谷八幡宮・土釜神社・院の墓・刀石・地神宮と五士の租・薬師尾と薬師如来・熊野権現社・生き木の地蔵などが数多く残されています。現在は真鍋家の子孫の方が代表となり、保存会を発足して遺跡の保存整備を手がけておられるそうです。"


高知県高岡郡越知町

 

"徳島県との県境に近い山岳地帯の越知町には、屋島の合戦の後、多くの落人がやってきたと伝えられているそうです。横倉山には安徳天皇陵墓参考地があり、周辺には仁淀川など、京都にゆかりを持つと思われる地名が残されています。歴代皇族と同じ構造の陵が、このような険しい山中に築かれたことから、平家の落人の手によるものではないかと、地元では解釈されています。ただ、宮内庁は皇室に関係する陵墓と認めているものの、安徳天皇のものとは断定できないとしているそうです。しかし、町にある平家の隠れ里では、墓石がなく石に名前を刻んで置いていました。これは平安時代の平氏の風習と一致するとも言われています。"

 

徳島県三好市の祖谷地方

 

徳島県西部にある西祖谷山村と東祖谷村には、「祖谷平家伝説」としてもう1つの平家物語が語り伝えられています。屋島の戦いで敗れた後に、平国盛(教経)一行が、まだ幼い安徳天皇をお守りしながら祖谷の地にやってきたとされ、山深い地で源氏の討手が迫ってきた時に敵の侵入を防いでいつでも切り落とせるようにと、かずらを束ねて橋を造ります。それが今も残る「かずら橋」と言われています。また、自分たちが祖谷で暮らしたことを後世に残しておこうと、国盛杉を植えたとも言われています。この地で密かに、平氏再興の望みをつないでいたとも言われています。

 

"千メートル級の山々に囲まれた秘境祖谷は、平家の落人が隠れ住んだという伝説の土地。平家ゆかりの品々や貴重な古文書を展示する「平家屋敷資料館」や「東祖谷歴史民族資料館」があって、落人伝説が学べます。奥祖谷にも「二重かずら橋」と呼ばれる橋があり、約800年前に平家一族が剣山の道場に通う際にかけたとされています。長さが異なる男橋(43.4メートル)と女橋(21メートル)が並んでかかることから「夫婦橋」とも呼ばれているそうです。ちなみに「こなきじじい」をはじめ、妖怪の故郷としても知られているそうです。"


兵庫県美方郡香美町

 

"壇ノ浦の合戦で敗れた平教盛と平家長ら7人が漂着したと言われ、当地の門脇家・伊賀家がその末裔と伝えられています。かつては大晦日の夜に、狼煙を上げて、他の地域の落人たちと無事を確かめ合っていたとも言われています。また、平内神社には的を源氏の目に見立てて、101本の矢で射貫くという百手神事も行われているそうです。最後に、この地域には平家に基づく地名伝説がいくつかあります。上計地域には平家落人の漂着を伝えて、平家平という地名が残り、畑地区・土生地区にも平家平や平家谷と呼ばれる地名伝承が伝わっています。"

 

福井県大野市久沢

 

"倶利伽羅峠の戦いに敗れた平家の落人が、平家岳を越えてこの地域に逃げ込んだ。或いは篠原の合戦に敗れた落人が加賀から逃れたとも伝えられています。この地域には不思議な伝説が存在します。平家の落人たちは長い柄の不思議な杓を持っていて、食料や生活に必要なものを、その杓で自在に招き寄せていた。ところがある日、どこからともなく現れた矢に追われて逃げ回るうちに、杓の柄を折ってしまい、それ以来、落人たちは食料や生活に必要なものを招き寄せることができなくなってしまった。平家落人伝説の中でも、あまり聞かない珍しい伝承だと思います。"

 

富山県南砺市の旧平村

 

"越中と加賀の県境にある倶利伽羅山で起こった木曽義仲と平維盛の戦いで敗れた平家の落ち武者が、現在南砺市の旧平村地域に住み着いたと考えられているそうです。この戦いのみならず、平家滅亡後は飛騨などの各地にいた平家の武士が、この地に移って隠れ住んだと聞きました。この地域に残っている麦屋節は、源氏に敗れて農民となって身を隠した平家の武士たちが、刀の代わりに鎌を持って悲哀を歌った歌とも言われ、その中にある「麦や菜種は2年で刈るに、麻が刈られうか半土用に」という一節があり、2年経ってから駆られる麦や菜穂に対し、早い期間で刈られてしまう麻の命の短さに、平家の悲運を重ね合わせて感傷していると言われているそうです。"

 

岐阜県高山市

 

"高山市には落人伝説が残る集落が2つあります。まずは上宝町ですが、この集落は飛騨山脈の山間に存在する小さな集落。ここには平家滅亡の後、平家の家臣であった高坂長次兵衛・佐藤兵衛・大蔵勘解由使の3人が隠棲したと伝えられています。そして地元の伝承には、毎年梅雨の時期になると3人の霊魂がヘビとカエルとナメクジになって、三竦岩に現れると言われています。また、荘川町という集落には平家落人の隠れ里という伝承がありました。しかし荘川町は、御母衣ダムの建設によって集落自体が残念ながら消滅してしまいました。"

 

栃木県日光市栗山郷

 

"平家の落人の集落や史跡があることで有名です。この地域では平家大祭といった祭りがあり、平安時代を思わせる格好をした武者や姫などが、行列で約2キロの道のりを歩くという光景が見られます。落人が隠れ住む地域として、端午の節句に鯉のぼりを飾らない、焚き火をしない、鶏を飼わないという風習が残っているそうで、落人が目立たずに生活していたという様子が伝わってくる話です。落人たちは身分を悟られないために、武具・財宝といったものを平家塚に埋めたと言い伝えられています。"

 

岩手県大船渡市~奥州市

 

"平清盛の孫と伝えられる平土佐守宋賽が、壇ノ浦への参戦を断念し、現在の香川県から一族を引き連れて海へ逃げたのだそうです。そして太平洋側の海を北上して漂着したのが現在の大船渡市で、そこから内陸を目指したそうです。途中、大船渡の山奥には「平山」という集落もあります。最終的に落ち延びたのが人首(ひとかべ)の山大畑だそうです。以後、この地に館を築いて敵の襲来に備えたそうですが、一族の安全が保障されると、農耕生活に従事するようになりました。伊達藩時代は正宗に従い、帯刀を許され、代々平五右衛門を名乗るようになり、長い間栄えたとされています。"

plastictレキタビ編集部

歴史スポット巡りや観光、老舗の歴史飯を味わう旅って案外楽しい!と言って頂けるような情報を発信したいと思います。

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