最強の陰陽師・安倍晴明と陰陽道ゆかりの地を巡る京都ミステリーツアー
病気や天災の全ては悪霊が支配していると信じられていた平安時代。そして占術や呪術などで都の平和を保ったという陰陽師。その中でも最強と言われた人物が安倍晴明です。内裏の鬼門に住み、陰陽道で星の動きを読みながら、式神と呼ばれる鬼を駆使して京を守ったとも言われます。謎に包まれた晴明の生涯は、平成に入ると夢枕獏の小説をはじめ、映画や漫画でもヒットが相次ぎ、現代人をも魅了し続けています。そんな晴明と陰陽道にまつわる京都のスポットを巡る旅をご紹介。
【1】晴明神社
京都市上京区にある晴明神社は、その名の通り安倍晴明を祀った神社です。晴明の没後、一条天皇が陰陽道で都を守ったその功績を称え、1007年に晴明の屋敷跡に創建しました。
境内には社紋である五芒星が掲げられた「一の鳥居」をはじめ、式神の石像、晴明が念力により湧出させたという井戸「晴明井」、魔除けの果物とされる桃をかたどった「厄除桃」、朝廷からの使いが訪れるとひとりでに開いたという「四神門」など、晴明と陰陽道ゆかりの品々が数多く残されています。毎年9月に行われる「晴明祭」の他に様々なイベントも開催されており、晴明ファンが全国から訪れる人気スポットとなっています。
住所:京都府京都市上京区堀川通一条上ル806
アクセス:地下鉄烏丸線「今出川駅」から徒歩約12分/「一条戻橋・晴明神社前」バス停から徒歩約2分
【2】一条戻橋
一条戻橋は京都市上京区の堀川に架けられている一条通沿いの橋です。晴明神社からも近いこの橋は、918年に漢学者・三善清行の葬列がここを通った際、子の浄蔵が棺にすがって祈ったところ、一時生き返ったという伝説から「戻橋」という名前が付いたと伝えられています。安倍晴明はこの一条戻橋の下に式神を待機させ、必要な時にここから呼び寄せていたとも言われています。
また、この橋の名称から、実家に戻るという意味合いで縁談前の女性が渡るのは不吉とされ、逆に戦争時には兵士が無事に戻ってくるようこの橋で願ったとも言われます。現在の一条戻橋は1995年に架けられたもので、晴明神社にはそれ以前の橋の一部を使って作られた、ミニチュアのレプリカがあります。
住所:京都府京都市上京区堀川下之町
アクセス:地下鉄烏丸線「今出川駅」から徒歩約13分/「一条戻橋・晴明神社前」バス停からすぐ
【3】長仙院
河原町の繁華街にひっそりと佇む長仙院は、安倍晴明の木像が安置されているお寺として有名です。この晴明像は明治10年、清円寺から2体の僧形像とともに安置されました。小説に登場する若く美形な晴明とは異なり、歳を重ねた末に威厳と風格が備わった晴明がここに鎮座しています。長仙院はサツキが美しい庭園としても知られ、繁華街の喧騒を忘れさせてくれる穴場的なスポットでもあります。
住所:京都府京都市中京区松ケ枝町471
アクセス:地下鉄東西線「京都市役所前駅」から徒歩約6分
【4】真正極楽寺(真如堂)

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真如堂 / Albert929
真正極楽寺は京都市左京区にある寺院で、別名「真如堂」と呼ばれています。ここには安倍晴明が蘇生した場面が描かれているという掛け軸「安倍晴明蘇生之図」と、晴明が冥界で閻魔大王から授かったという印鑑「五芒星の印鑑」が所蔵されていると言います。さらに、晴明の念持仏と言い伝えられている不動明王像も安置されています。
住所:京都府京都市左京区浄土寺真如町82
アクセス:市バス「真如堂前」バス停から徒歩約8分
【5】安倍晴明墓所(嵯峨墓所)
1005年に85歳の生涯を閉じたと言われる安倍晴明は、京都でもひときわ風光明媚な嵐山にある嵯峨墓所に眠っています。晴明神社の飛び地境内にもなっている嵯峨墓所内、石の鳥居をくぐった先に安倍晴明の墓があります。
晴明の墓と言われる墓は全国に複数ありますが、現在ではこちらが一般的な公式とされているようです。また、もともとこの墓は天龍寺にあり、1972年に晴明神社によって移されました。その墓石と周りを囲む石柱には五芒星が刻まれています。毎年、安倍晴明の命日には「嵯峨墓所祭」が開かれ、お祓いなどの神事が厳かに行われています。
住所:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町
アクセス:嵐電「嵐電嵯峨駅」から徒歩約2分/嵐電「嵐山駅」から徒歩約7分
ふじわら りえ
子育て主婦兼ライター。思わず誰かに話したくなる、そんな歴史旅の記事をお届けできるようにしたいと思っています。