空海(弘法大師)伝説が残る全国のゆかりスポット9選
現在も数多くの旅人が訪れる高野山。そしてこの地で真言宗を開いた歴史上の人物と言えば空海(弘法大師)。かつて唐の国から戻った空海(弘法大師)は、全国各地を行脚したと言われ、その伝説、足跡は様々な場所に今も残ります。そこで今回は空海(弘法大師)の伝説が残る全国各地のスポットをテーマにWebアンケートを実施。皆さんから寄せられた情報をもとに、空海ゆかりのスポットをご紹介していきます。
愛媛県西条市の西山興隆寺
"弘法大師が修業した事でも有名な四国八十八ヶ所ですが、足跡が残るという場所が各地にあり、その代表的な場所は四国別格霊場と名付けられています。この西山興隆寺もその中の1つであり、愛媛県西条市の山中に位置し、弘法大師が入山して七堂伽藍を整え、奥西山の文殊岩屋で求聞持法を修したと言われています。現在は奥西山の文殊岩屋についての文献ははっきりしておらず、場所がどこなのかは分からないそうですが、山上の本堂までの間にある勅使門には弘法大師直筆と言われる扁額があり、弘法大師に関する逸話は信憑性が高いものと思われます。"
香川県仲多度郡まんのう町の満濃池
"香川県は全国でも有数の干害地域であり多くのため池があります。この満濃池(まんのういけ)は国内最大のため池であり、818年頃の大規模な決壊で修復ができずに困っていた所、改修工事に名乗りを上げたのが空海上人だと言われています。香川県は空海の故郷でもあり、土木工事にも精通していた空海が半年足らずの期間で工事を完成させ、今まで決壊していた原因の問題を解決する工法(1:堤防をアーチ状にして圧力を分散させる 2:必要以上の水量を超えた時に余分な水が抜ける排水路を設ける)を用いて完成させ、今までに何度か修復はされたものの、原型は今でも当時のままに保っているそうです。"
徳島県名西郡神山町の焼山寺
"空海(弘法大師)が焼山寺(しょうさんじ)を訪ねた時、山に住む大蛇が村に現れて村人を襲い、農作物を荒らしていた。そして空海がその山に入ると大蛇は怒り、山中を火の海にして抵抗をします。空海は印を結びながら山に入り、火の中を登っていくと火が衰え、やがて大蛇が姿を見せました。その時に虚空蔵菩薩が現れて、空海を助けて大蛇を岩屋に封じ込めました。空海はその上に三面大黒天を刻んで安置すると山に平和が戻ったと伝えられます。焼山寺という名前はこの逸話からつけられているそうです。三面大黒天は寺の中に今もあり、四国遍路の人たちの信仰を集めています。"
徳島県阿波市の切幡寺
"空海がこの地を訪れた時、一人の貧しい少女がはたを織っていました。そして空海が少女に「身につけた僧衣が汚れているので、布を頂きたい」と言うと、少女は織っていた布を空海に差し出したそうです。そして今度は少女が父母の菩提を弔うために観音像が欲しいと言うと、空海はその家にしばらく滞在し、千手観音像を彫ったそうです。そしてその少女を得度させ、お堂を建てて千手観音像を安置すると、その娘は感激し、やがて即身成仏して観音像の化身となったそうです。境内にはその伝説をもとに布とハサミを持った観音像が建てられました。ここを得度山・切幡寺と命名し、四国霊場十番札所にしたと伝えられています。"
高知県室戸市、室戸岬の御厨人窟
"空海は修行時に光が口の中に飛び込むという神秘体験をしたそうで、その後「虚空蔵菩薩求聞持法」を成就させます。そしてその修行を行っていた場所の1つが、太平洋に突き出て空と海と大地とが一体になっている、室戸崎の洞窟だそうです。岬の断崖には大きな洞穴が2つ空いており、右側が修行の道場とした「神窟」、左側が起居の場とした「御厨人窟」です。海辺の洞窟や神を祀る粗末な場所で寝起きをし、漁師から施食を受けて飢えをしのぎ、滝や自然の清水がある自然の行場を巡り歩いて読経を行い、御幣を献じ、水中に入って垢離を行い、かがり火を焚いた。室戸岬は空海以前から辺路の行場であったそうです。"
京都府長岡京市の乙訓寺
"京都府長岡京市の市街地から少し離れた場所に、弘法大師が在住したと言われる乙訓寺があります。聖徳太子によって創建されたと言われる寺であり、乙訓地域で最古の寺とも言われています。門を入るとすぐに弘法大師の石像が建っており、市指定の有形文化財となっている巨大なモチノキも目に飛び込んできます。乙訓寺は牡丹の寺とも言われ、4月下旬頃に開花のピークを迎えると、日傘の下で大輪の牡丹が境内を埋め尽くし、多くの観光客が訪れています。"
京都府京都市の教王護国寺(東寺)
"国宝の大師堂では僧侶による読経が行われ、そこへ行くと拝聴もできます。入場料も取っていませんでした。21日のいわゆる「弘法さん」の縁日で、朝10時から行われる勤行を目にすれば、真言のすばらしさも身に沁みます。尚、その間は国宝の弘法大師坐像の扉も開かれています。東寺を訪れたら、ぜひ双眼鏡で五重塔のてっぺんの水煙を見てみてください。ネギ坊主(ネギの花のつぼみ)のような丸いものが付いているのですが、昔、東寺近くで大蛇に追われて逃げ場を失い、ネギ畑に隠れて難を逃れたという、弘法大師の伝承にちなんだものと言われています。"
滋賀県大津市の立木観音(鹿跳渓谷)
"空海(弘法大師)と聞いて、ぱっと思い出したのが初詣に良く行く「立木観音」です。平安時代前期、諸国を修行中だった空海が瀬田川に立ち寄った時、鹿跳渓谷の向かいにそびえる山中に、光輝く霊木を見つけました。しかし、霊木の対岸に立っていた空海は急流で川を渡れずに途方に暮れていたそうです。すると目の前に白い鹿が現れ、自分の背に乗るようにと促し、白い鹿は空海を背に乗せて岩の上を跳び、渡り霊木の前まで空海を連れて行き、観世音菩薩に姿を変えて消えたという伝説が残されています。空海は霊木に等身大の観音像を刻み、これを本尊として建立したのが立木観音だと言われています。ちなみにこの時の空海が厄年の42歳だったことから、立木観音は厄除け観音として人々に親しまれています。"
茨城県那珂郡東海村の村松山虚空蔵堂
"村松山虚空蔵堂は、平城天皇の勅願で弘法大師によって創建された寺。本尊の虚空蔵菩薩は、弘法大師が一刀三拝の礼を尽くして(一度刃を入れる毎に三度拝礼を行う)彫り上げたものと言われ、伊勢の朝熊山金剛證寺、会津の霊厳山円蔵寺とともに日本三体虚空蔵尊の1つとも言われています。特に茨城県の県央県北に住んでいる人間には、「十三詣り」と言えば虚空蔵堂と言うほど知られています。虚空蔵堂の近くにある村松海岸は白砂青松の景勝地にもなっており、水戸藩徳川斉昭によって水戸八景の1つである「村松晴嵐」にも選定されています。"
レキタビ編集部
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