亡き主人を待ち続けた忠犬ハチ、知られざる最期の地を巡り、ハチの記憶を思い出す旅
渋谷駅にまつわる歴史を語る上で、欠かす事ができない忠犬ハチの逸話。今回は亡き主人の帰りを健気に待ち続け、悲しい最期を遂げたハチの物語を思い出す旅をご紹介していきます。
※写真は現在の渋谷区、稲荷橋
あの忠犬ハチ公が冷たくなり、亡くなっていたという稲荷橋周辺
東京・渋谷3丁目にかかる稲荷橋(いなりばし)。都心の大ターミナル駅のすぐ近くにあるこの橋の辺りで、
あの忠犬ハチ公は冷たくなり、孤独に死んでいたそうです。今ではその痕跡もなく、忙しい日常が繰り返されるこの街で、この事に気づいて通っている方もほとんどいないと思いますが、ここが忠犬ハチ公の最期の地だそうです。
出典元:Wikipedia
1935年(昭和10年)3月8日、ハチが亡くなっていた日に撮られたという写真です。この後、渋谷駅ではハチの告別式を行い、亡き骸は上野教授が眠る青山霊園に葬られたそうです。ずっと待ち続け、死してようやく主人の元に戻れたハチ。このハチの生涯は本や映画などで伝えられ、今も私たちの記憶に残されています。
※写真は稲荷橋の下を流れる渋谷川
ハチが亡くなっていたという場所の周辺は再開発が繰り返され、周囲の景観も目まぐるしく変化しています。しかし、この地にハチの生涯を伝える案内板などが無いのが、少し残念に思えてしまうくらいです。
※写真は渋谷駅ハチ公口に建つ忠犬ハチ公像。現在の像は1989年に建てられた
今改めて想い出す、健気な忠犬ハチの生涯
1923年(大正12年)、秋田・大館生まれの秋田犬ハチは、生涯の主人となった上野英三郎教授の希望で、生後間もなく東京へと移され、現在の渋谷区松濤の辺りにあったという、上野教授の自宅で飼われる事になりました。そして教授に可愛がられたハチは、朝は渋谷駅で大学の仕事へ向かう上野教授を見送り、夕方は仕事から帰ってきた上野教授を迎えたと言います。
しかし、ハチが上野教授と一緒に過ごす時間も、わずか一年余りで終わってしまいます。1925年(大正14年)、上野教授は大学での仕事中に脳溢血で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。それでもハチは通夜が行われた日も渋谷駅へと向かい、いつものように主人の帰りを待っていました。
教授の死後、ハチの飼い主は転々と変わり、自らの住む場所も変わりましたが、2年を経た辺りから、ハチが渋谷駅や昔の上野教授の自宅周辺で目撃されるようになります。そこから稲荷橋で孤独な最期を迎えるまでの約8年間、ハチは渋谷駅でずっと生涯の主人の帰りを待ち続けました。その健気な姿に多くの人が感動を覚え、ハチが亡くなる2年前に忠犬ハチ公像が渋谷駅前に建てられました。
※写真は現在の渋谷駅ハチ公口周辺
今ではすっかり変わってしまった渋谷駅前の景観。ハチ公が向いている先の駅の屋根には、随分とオシャレな犬たちの広告が。街の景色が変わり、ここを歩く人々の姿が変わっても、このハチの記憶を風化させずに、後世まで伝え続けて欲しいと感じます。今回は私たちが普段行き交う日常の中で忘れかけていた、身近なスポットのことを知る旅をレポートさせてもらいました。
今回ご紹介したスポット
名称:稲荷橋
住所:東京都渋谷区渋谷3丁目18付近
名称:忠犬ハチ公像
住所:東京都渋谷区道玄坂2-1
レキタビ編集部
歴史スポット巡りや観光、老舗の歴史飯を味わう旅って案外楽しい!と言って頂けるような情報を発信したいと思います。
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