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越前一乗谷の朝倉氏遺跡、400年を経て蘇えった幻の城下町で北陸の雄の痕跡に出会う旅

記事公開日:2017/04/13

福井市から車で25分ほどの場所にある「一乗谷朝倉氏遺跡」は、歴史ファンなら一度は訪れてみたいスポットの1つ。戦国大名の朝倉氏が館や城下町を築いたこの地は長さ2kmほどの細長い谷。その後は戦国の風雲で焼き尽くされ、長らく田畑の下に埋もれてしまっていましたが、発掘を経て当時の姿へと復元されています。今回は永い眠りから蘇えった幻の城下町「一乗谷」で、朝倉氏の痕跡を知る旅へとご案内します。

朝倉館の唐門の風景

※写真は甲冑武者が今にも現れてきそうな朝倉館の唐門の風景

 

幻の城下町で戦国時代のタイムスリップ体験を楽しむ

 

福井県福井市にある「一乗谷朝倉氏遺跡」は5代、100年に亘って越前を支配した戦国大名、朝倉氏の本拠地。ここは九頭竜川の支流、一乗谷川沿いの細長い谷あいに位置し、朝倉氏とその家臣団の居館群跡や城下町跡が完全な姿で発掘されました。今では遺跡全体が国の特別史跡とされ、そのうちの4つの日本庭園は国の特別名勝にも指定されています。

 

また、一乗谷では戦国時代の城下町が復元されています。繁栄を極めた当時の武家屋敷群や、商人・職人の町屋が200mにわたって再現され、戦国時代を彷彿とさせるようなタイムスリップ感覚の歴史体験が楽しめます。

 

復元された一乗谷の武家屋敷群

※写真は復元された一乗谷の武家屋敷群

 

栄華と悲哀、戦国の風雲に翻弄された一乗谷の地の歴史

 

一乗谷は南北朝時代から朝倉氏の本拠として栄え、応仁の乱の頃には荒廃した京の都から多くの公家や高僧、文人たちが避難してきたため、飛躍的に繁栄し、華やかな文化が開花しました。

 

そして室町時代の後期には朝倉孝景が越前の守護とされ、越前から若狭、近江にまで領土を広げ、戦国大名としての名を馳せました。この頃には一乗谷の地も全盛期を迎え、この狭い谷の中に1万人を超える人々が住み、北陸の中心地として繁栄しました。

 

さらに永禄10年(1567年)には、朝倉義景が室町幕府の15代将軍、足利義昭を一乗谷へと迎えます。義昭は織田信長と対立して信長包囲網の形成を試み、朝倉義景はその中核として近江の浅井長政と連携したものの、信長との戦いを経て苦境へと追い込まれていきます。

 

天正元年(1573年)には信長が3万の軍勢で浅井長政を攻め、これに対抗して朝倉義景は2万の軍勢を率い、浅井長政を救援すべく近江へと出陣します。しかし、小谷城の包囲戦によって織田軍に敗退し、追撃を受けて壊滅の憂き目をみます。敗走した朝倉義景は一乗谷を放棄して大野の地へと逃れ、織田軍は一乗谷へと攻め入って館や城下町を焼き払い、一乗谷は灰燼に帰しました。

 

そしてその後、大野へと逃れた朝倉義景は家臣の裏切りに遭って自刃、ここに朝倉氏は滅亡しました。この戦いによって室町幕府は終焉を迎え、時代は信長の世へと移っていきます。かつて朝倉氏が治めた越前の地は、信長の配下である柴田勝家の領土となり、勝家は本拠を北ノ庄(現在の福井市中心部)に構える事となったため、焦土と化した一乗谷はそのまま田畑に埋もれていきました。

 

それから約400年の時を経た昭和42年(1967年)、一乗谷では遺跡の発掘が開始され、40年以上におよぶ発掘調査を経て、「一乗谷朝倉氏遺跡」の姿が明らかになりました。

 

朝倉館の濠の風景

※写真は朝倉館の濠の風景

 

広大な朝倉館跡

※写真は広大な朝倉館跡

 

朝倉義景が愛したかつての城下町、一乗谷の歩き方

 

一乗谷は細長い谷の南北に城戸を設け、その間の平坦部、「城戸ノ内」に朝倉氏の館をはじめ、武家屋敷、寺院、商人や職人の町屋が整然と配置され、日本有数の城下町を形成していました。一乗谷の入口である下城戸からは、かつての城下町を貫いて遺跡群をつなぐ遊歩道が整備されています。

 

城下町の復元地区には武家屋敷群の土塀が連なり、その屋敷内には主殿での生活や台所などが再現されています。街路の対面には軒の狭い町屋が並び、大甕が並べられた染物屋や、陶磁器を並べた唐物の店などが軒を連ねます。

 

そして城下町の風情を楽しんだ後は、東側の山裾に広がる「朝倉館跡」へ。ここは山を背にして三方に濠と土塁を巡らし、正面には唐破風造りの「唐門」が建ちます。その唐門を入って行くと館(やかた)の跡が広がり、敷地には主殿や会所など、17棟の建築と庭園などが存在したとされています。

 

また、館跡を見下ろす山腹には湯殿跡があり、緻密な石組みが配される「湯殿跡庭園」が築かれています。朝倉氏遺跡では他にも諏訪館跡庭園、南陽寺跡庭園、義景館跡庭園が発掘され、この4つの庭園は「一乗谷朝倉氏庭園」として、国の特別名勝にも指定されています。

 

そして館跡の背後、標高473mの一乗城山には「一乗谷城」が築かれ、曲輪、空堀、堀切、土塁などの遺構が残ります。加えて下城戸の外には「一乗谷朝倉氏遺跡資料館」があり、かつての武具や中国、朝鮮の陶磁器など、遺跡から出土した品や資料が展示されています。

 

朝倉義景公の墓所

※写真は最後の当主となった朝倉義景公の墓所。最後は従兄弟である朝倉景鏡に裏切られて自刃。辞世の句は「七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空(七転八倒した40年だったが、結局は他もなく自もなく、虚しいものだった)」であったという。

 

甲冑、着物の着付けを体験し、朝倉氏の城下町を散策へ

 

そんな一乗谷の地では「甲冑、着物の着付け体験」が密かな人気を集めています。戦国時代の装束を身にまとい、かつての朝倉氏の時代にタイムスリップしたかのような気分で散策が楽しめます。また、毎年8月にはキャンドルの光で遺跡を幻想的に浮かび上がらせる、「越前朝倉万灯夜」「越前戦国まつり」が開催され、こちらのイベントも賑わっています。

 

復元された町屋の風景

※写真は復元された町屋の風景

 

今回ご紹介した福井県福井市の旅行スポット

 

名称:一乗谷朝倉氏遺跡
住所:福井県福井市城戸ノ内町ほか
復原町並み開場時間:9:00~16:30
復原町並み入場料:大人210円(一乗谷朝倉氏遺跡資料館共通230円)
アクセス:JR越美北線「一乗谷駅」から徒歩約10分で下城戸へ ※土日祝は遺跡内無料周遊バスが運行
駐車場:専用駐車場あり(無料)
参考リンク①:朝倉氏遺跡保存協会
参考リンク②:一乗谷朝倉氏遺跡資料館

 

あらき 獏(ばく)あらき 獏(ばく)

情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。

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