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高台寺とねねの道、亡き秀吉への想いが込められた京都東山の名刹を歩く旅

記事公開日:2017/07/03

京都東山三十六峯の山裾に佇む「高台寺」。ここは豊臣秀吉の妻「おね(北政所)」が、亡き夫の冥福を祈るために開いた寺です。建立にあたっては「おね」自身も深く携わり、秀吉との思い出の品も多く配されています。今回はおねが豊臣秀吉の菩提を弔いながら晩年を過ごしたという、京都東山の名刹を訪ねます。

京都市東山区にある高台寺の境内

※写真は京都市東山区にある高台寺の境内

 

豊臣秀吉亡き後、おねが1606年に開いたと言われる高台寺

 

戦国時代、一介の足軽から関白の地位にまで上り詰めていった豊臣秀吉。しかし、天下統一から8年後の慶長3年(1598年)8月18日、秀吉は62歳という年齢でその生涯を閉じました。そしてその後、秀吉の正室であったおねは出家して「高台院湖月尼」と称するようになり、秀吉を追悼するためにこの高台寺を建立したと言われています。当時の高台寺は95,000坪もの敷地を持つ大寺院であり、壮麗な伽藍が立ち並ぶ寺であったと言われています。

 

境内の「観月台」は、秀吉と一緒に眺めた琵琶湖の月を偲んだもの

 

高台寺の開山堂を囲む池泉回遊式庭園は、江戸時代の作庭家、小堀遠州の作とされ、桃山時代を代表する庭園(国の史跡・名勝)としても知られています。「偃月池(えんげついけ)」に架かる回廊「楼舟廊」の中央には、伏見城から移築したと言われる唐破風造りの「観月台」があり、おねはここで池に映りこむ月を眺めながら、亡くなった秀吉の事を偲んだとも伝えられています。

 

回廊でつながる観月台と開山堂

※写真は回廊でつながる「観月台」と「開山堂」

 

秀吉とおねの思い出を天井に表した「開山堂」

 

観月台回廊の奥に繋がる開山堂(重要文化財)は、おねの養父母である浅野長勝と、妻の七曲の持仏堂と言われています。そしてこのお堂の天井には秀吉の御座船の金箔貼りの格天井と、おねの好きな野菊や萩が描かれた御所車の瀟洒な天井部分が並んで配置されています。これはおねの願いによって造られた特別な装飾であると言われ、秀吉への想いを感じさせる装飾となっています。

 

秀吉と北政所を祀る「霊屋(おたまや)」

 

秀吉とおねを祀る霊屋

※写真は秀吉とおねを祀る霊屋(おたまや)

 

また、開山堂から臥龍廊を上がった高台には、秀吉と北政所を祀るお堂「霊屋(おたまや)(重要文化財)」があります。中央には本尊の大随求菩薩像が置かれ、右には豊臣秀吉の坐像、そして左には生前作られたという北政所の木像が安置されていて、この北政所像の床下に、おねの亡き骸も眠っていると言われます。

 

茶室、「時雨亭(しぐれてい)」と「傘亭(からかさてい)」

 

高台寺の茶室、時雨亭

※写真は階上の開口部が広くなっている時雨亭

 

さらに秀吉とおねを祀る霊屋(おたまや)を上がっていった先には、2つの茶室が並んでいます。そのうちの1つである「時雨亭」は入母屋造り、2階建ての珍しい茶室で、階上には開口部が大きく取られ、南西方向の眺望が望める造りとなっています。

 

時雨亭と土間廊下で繋がる傘亭

※写真の左側が「時雨亭」。そして土間廊下で繋った右側が「傘亭」

 

そして茅葺屋根、宝形造の「傘亭」は、屋根の裏側の竹垂木(たけだるき)が放射状に組まれていて、それが傘のように見える事から傘亭と呼ばれています(正式名称は安閑窟)。時雨亭と傘亭の2つは屋根付きの土間廊下で繋がっていますが、双方ともに桃山時代から江戸時代前期にかけての建築とされ、伏見城から移築されたという古い建物となっています。

 

あらゆる人たちが慕った女性「おね」

 

おねは14歳の時に両親の反対を押し切って秀吉と結婚したと言われています。賢く、何事に対しても前向きであったというおねは、その後の秀吉の天下取りを支えていき、社交的な性格も活かして、朝廷との折衝もこなしていたと言われます。

 

そして当時、子宝に恵まれなかったおねは、後に秀吉子飼いの武将と言われた加藤清正や福島正則、黒田長政などを幼少期から育て上げ、彼らもずっとおねの事を慕っていたと言われています。

 

高台寺境内の竹林

※写真は高台寺境内の竹林

 

また、秀吉亡き後のおねは、敵味方の区別なくあらゆる人たちと交流を重ね、徳川家康の息子である「秀忠」も12歳の時におねの世話を受けていて、折に触れて、高台院となったおねのもとを訪ねたと言います。その他にも伊達政宗の正室「愛姫」や、前田利家の正室「まつ」たちとの交流を続け、おねは穏やかな余生を過ごしたとされます。そんなおねがこの世を去ったのは寛永元年(1624年)の9月6日。既に徳川家康は没し、三代将軍徳川家光の時代に入った頃だと言われています。

 

「ねねの道」は、京都東山の風情が最も感じられる小路

 

八坂神社や円山公園から、高台寺へと繋がっている「ねねの道」。この道はその昔、「おね」も行き来していたであろう小道です。近くには圓徳院や掌美術館、石塀小路などもあり、南に歩けば八坂の塔(五重塔)や維新の道、二年坂、産寧坂などもあります。清水寺へとつながっていく、この風情豊かな散策ルートを歩けば、いかにも京都らしい風情を味わう事ができます。

 

高台寺の目の前に広がるねねの道

※写真は円山公園や清水寺の方向へとつながるねねの道

 

※北政所の名前(諱)には諸説ありますが、本文では「おね」と表記しました。

 

今回ご紹介した京都府京都市東山区の旅行スポット

 

名称:鷲峰山高台寺(臨済宗建仁寺派)
住所:〒605-0825 京都市東山区高台寺下河原町526番地
公式サイト:高台寺

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

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