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美しい水の都・島原へ、島原の乱で知られる地を巡り、島原城と城下町の風情に浸る旅

記事公開日:2017/06/28

壮麗な白亜の天守が美しい「島原城」。そして、街の至る所から名水が湧き出し、「水の都」とも呼ばれている島原城下。今回は島原半島の中心地にある島原城とその城下町を訪れ、水の都の風情に浸りながら、島原の乱で一躍世に知られる事になった、この地の歴史や見所を知る旅へとご案内します。

水の都、島原の城下町を泳ぐ鯉の姿

※写真は水の都、島原の城下町を泳ぐ鯉の姿

 

島原城の天守

※写真は島原城天守。破風のない独立式層塔型5層5階の天守であり、33mの高さを誇っています

 

水の都・島原の象徴、白亜の美しい天守を持つ島原城

 

長崎県島原市は島原半島の中心都市。有明海を臨む、雲仙普賢岳の麓に位置する場所です。風情溢れる島原城下では、街並みの至る所から名水が湧き出し、「水の都」とも呼ばれる所以にもなっています。そんな島原の街の中心にある「島原城」は、水堀の高石垣の上に5層5階の天守が聳える白亜の城です。そして、この美しい城には日本最大のキリシタンの叛乱とされる、「島原の乱」に纏わる歴史が秘められています。

 

島原城の本丸

※写真は島原城の本丸

 

島原城と島原の乱。その波乱の歴史ストーリーを知る

 

島原城は元和4年(1618年)から、藩主であった松倉重政が7年の歳月をかけて築いた城であり、長方形の連郭式平城で総石垣造り。本丸は水堀に囲まれ、そそり立つ高石垣が特徴的な城となっています。また、縄張りは本丸の北、二の丸が廊下橋で結ばれ、北に三の丸を配して御殿が築かれました。周囲約4kmもの長大な塀を巡らせて外郭とし、5層5階の天守と49棟の櫓を配した、壮大な城郭となっていました。

 

当時、藩主であった松倉氏の知行は4万石でしたが、島原城の規模は10万石以上の大名の居城に匹敵すると言われ、雲仙岳の噴火による火山灰や溶岩流の地盤もあり、城の普請工事は困難を極めたと言います。また、松倉重政は江戸城改築の普請役を受けていた事もあり、島原の農民たちの年貢負担は重く、厳しいキリシタン弾圧も進め、年貢を納めない農民たちや改宗を拒むキリシタンたちを処刑していたと言います。そして松倉重政の跡を継いだ、子の松倉勝家も同様の圧政を行っていたとされています。

 

そしてついに寛永14年(1637年)、松倉氏の圧政に耐えかね、「島原の乱」が勃発してしまいます。一揆の首謀者たちはキリシタンの少年であった天草四郎を総大将としたため、キリシタンの叛乱とされました。この時、松倉勝家は島原城に篭城したものの、一揆軍は島原城下へと押し寄せ、城下を焼き払ってしまいます。そしてその後、一揆軍は旧主、有馬氏の居城であった原城に篭城する事となります。

 

これに慌てた江戸幕府は九州諸藩による討伐軍を起こし、およそ37,000人が篭城する原城へ攻め寄せます。しかし、原城の守りは予想以上に堅く、総大将であった板倉重昌が戦死する事態に陥ってしまいます。この事態に驚いた幕府は松平信綱率いる増援軍を派遣、その結果12万以上にも膨れ上がった討伐軍によって原城は落城しました。この乱によって天草四郎は討たれたものの、藩主であった松倉勝家は責任を問われて所領を没収、以後は高力忠房、松平忠房らが島原城主となって島原の地を復興し、松平氏の時代に明治維新を迎える事になります。明治時代以降の島原城は廃城となり、城の建物は解体されてしまいました。

 

島原の武家屋敷群

※写真は島原の武家屋敷群。通りの中央には水の都らしく水路が造られています

 

島原城と城下の武家屋敷群を巡る。水の都・島原の人気スポットの歩き方

 

現在の島原城跡は県指定の史跡とされ、城跡公園として整備もされています。天守などは昭和35年(1960年)から記録に基づいて復元されたものとなっていて、天守閣部分は資料館とされ、郷土史料やキリシタン史料などが展示されています。また、「西の櫓」は民具資料館、「巽の櫓」は彫刻家、北村西望の記念館となっています。さらに平成8年(1996年)には雲仙普賢岳噴火災害の復興館も開館しました。

 

そして島原城の西北、鉄砲町には今も武家屋敷群が残っています。ここでは山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3邸が江戸時代の姿のままで公開されていて、通りの中央には水路が造られ、水の都の風情溢れる佇まいを感じさせてくれます。

 

また、水の都と呼ばれる島原城下には多くの湧水ポイントがあります。例えば島原城の南の街並みにある「しまばら水屋敷」や「しまばら湧水館」「四明荘庭園」などは、湧水で涼をとったという古民家や明治期の屋敷が並びます。庭の湧水池には鯉が泳ぎ、湧水で作った白玉だんごの「寒ざらし」などのご当地グルメも味わえるようになっています。

 

加えて水資源が豊かな島原では、「鯉の泳ぐまち」が代表的な景観のスポットとなっています。100mの水路にはおよそ1,500匹もの鯉がゆっくりと泳ぎます。島原城から武家屋敷群、鯉の泳ぐまち辺りまでゆっくりと散策しても半日ほどの工程なので、日帰りドライブの気分で訪れてみるスポットとしてもお薦めですよ。

 

島原の武家屋周辺の風景

※写真は島原の武家屋周辺の風景

 

島原の雲仙普賢岳

※写真は島原の雲仙普賢岳(平成新山)。島原市の後背には標高1,483mの平成新山をはじめとした雲仙の山々が聳え、一年を通じて温泉や紅葉、霧氷が楽しめます。

 

今回ご紹介した長崎県島原市の旅行スポット

 

名称:島原城
住所:長崎県島原市城内一丁目1183-1
アクセス:島原鉄道「島原駅」から徒歩5分
駐車場:専用駐車場あり(有料)
天守閣、観光復興記念館、西望記念館共通入館料:大人540円、小・中・高生270円
入館時間:9:00~17:00
参考リンク:島原城ポータルサイト

 

あらき 獏(ばく)あらき 獏(ばく)

情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。

 

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