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今も静謐な空気に包まれる西本願寺、親鸞や蓮如、顕如の存在で知られる世界遺産の名刹を歩く旅

記事公開日:2017/05/02

京都の玄関口である京都駅の北側に位置し、世界最大級の木造建築である「御影堂」や「阿弥陀堂」が残る通称「西本願寺」。この寺は親鸞聖人が開祖した浄土真宗本願寺派の本山であり、龍谷山本願寺と言う名称を持つ大寺院ですが、観光都市京都の中心部で今も静謐な空気に包まれている場所となっています。今回は西本願寺の境内を歩きながら、この寺の見所と激動の歴史を知る旅へとご案内します。

西本願寺の御影堂と阿弥陀堂を繋ぐ広大な渡り廊下

※写真は西本願寺の御影堂と阿弥陀堂を繋ぐ広大な渡り廊下

 

親鸞の木像を安置する御影堂

※写真は宗祖・親鸞の木像を安置する「御影堂(ごえいどう)」(国宝)

 

西本願寺の境内の中心に位置する御影堂は寛永13年(1636年)に上棟され、伽藍を形成する平面の桁行(けたゆき)は62.1m、梁間は48.3m、そして門徒を迎える外陣(げじん)部は441畳という大広間を有する国宝の建物です。内陣は金箔、彫刻欄間などの彩色で飾られ、多くの虹梁(こうりょう)、建登柱、軒支柱など、高度な技法を駆使した造られた本堂であり、江戸時代から現存する最大級の木造建築物となっています。

 

阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂

※写真は阿弥陀如来像を安置する「阿弥陀堂」(国宝)

 

そして御影堂のすぐ北側に並び建つ阿弥陀堂は、桁行が45.2m、梁間は42.1mと、御影堂と比較すると一回り小さいものの、真宗の阿弥陀堂としては最大規模であり、各地に建てられた真宗本堂の範となったものと言われています。ここは江戸時代の宝暦10年(1760年)に建替えられ、御影堂と似た姿ではあるものの、より発展した技法と意匠を用いて造られ、真宗本堂の完成系としての価値が高い場所とされています。

 

壮麗な唐門

※写真は西本願寺の壮麗な唐門(国宝)

 

また、寺の南側を向いて建つ「唐門」は桃山時代の伏見城の遺構と言われている四脚門で、門全体に絢爛な装飾がなされ、細部にまで彫刻を巡らせている美しい門となっています。この門は美しさに見とれてしまい、思わず日が暮れるのを忘れてしまうというという事から、別名「日暮門」とも呼ばれています。この西本願寺の唐門は京都の豊国神社、大徳寺の唐門と並んで、京都の「国宝三唐門」とされています。

 

境内から望む御影堂と阿弥陀堂

※写真は境内から望む御影堂と阿弥陀堂

 

親鸞聖人の廟堂から発展し、法灯を継承し続けている西本願寺

 

平安時代末期に京都で生まれたとされる親鸞聖人は、9歳で出家して比叡山で学び、29歳で南無阿弥陀仏という念仏の教えに帰依、そして35歳の時に念仏の弾圧によって越後へと流罪になってしまいます。しかしその後は関東から京都で教えを広め、晩年には「教行信証」という浄土真宗の根本的な聖典を著しました。そして弘長2年(1263年)に90歳という驚くべき寿命で入滅したと伝えられています。

 

また、親鸞聖人の末娘であった覚信尼は京都東山に「大谷廟堂」を建立し、そこに親鸞聖人の遺骨を安置して浄土真宗の礎を築きました。その後の元亨元年(1321年)には三代伝持の血脈から法灯を継承したとする覚如が御影堂と阿弥陀堂の両堂を並置し、「本願寺」の名を称したと伝わっています。

 

建物の大きさがわかる西本願寺の風景

※写真は建物の大きさがわかる西本願寺の風景

 

本願寺の中興の祖となった傑物「蓮如」

 

室町時代に第8代宗主となった蓮如(れんにょ)は、親鸞聖人の教えを仮名書きの「御文章」で庶民にわかりやすく説き、信徒を増やしました。この時代に衰退していた本願寺を建て直した蓮如は、本願寺の中興の祖とも呼ばれています。

 

時の覇者との攻防を繰り広げた本願寺の歴史

 

そして第10代宗主の証如(しょうにょ)の時代に本願寺は大坂の石山御坊(石山本願寺)へと移り、第11代宗主の顕如(けんにょ)の時代には天下布武に向けて全国の統一を目指していた織田信長と、勢力を強めていた石山本願寺との間で全面対決が起こり、10年にわたる石山合戦が繰り広げられました。

 

この時代には各地で一向一揆が勃発し、大阪湾での兵糧攻めや毛利水軍との戦いなどが歴史に残りますが、天正8年(1580年)に本願寺が和議を受け入れ、石山本願寺を明け渡す事でようやく終結に至りました。しかし、そのわずか2年後には本能寺の変が発生し、織田信長の時代は突如として終焉してしまいます。

 

豊臣秀吉の寄進によって、再び京都へ寺基を置く

 

その後、織田信長に代わって天下統一の夢を果たした豊臣秀吉は、旧石山本願寺の跡地に巨大な大坂城を築きました。そして本願寺は豊臣秀吉の寄進によって天正19年(1591年)に、現在の堀川六条の地に寺基を移し、再び京都の地へと戻ってきたのです。

 

しかし、本願寺では石山合戦の講和受け入れの賛否等で寺内の対立が残り、関が原の戦いの後には徳川家康の寺地寄進などもあって、寺は東西に分かれる事になりました(現在の西本願寺と東本願寺)。一説には徳川家康が本願寺勢力の分散を狙ったとも言われていますが、寺はその後、幕末に新撰組の拠点になるなど激動の時代を経て、現在に至るまで400年以上この地にあり続けています。

 

西本願寺の手水舎

※写真は手水舎(ちょうずや)(重要文化財)

 

現在の西本願寺には御影堂、阿弥陀堂、唐門などの見所以外にも、親鸞聖人像や三十六人家集などの国宝も残ります。また、経蔵や阿弥陀門、御影堂門などは重要文化財にも指定されています。平成6年(1994年)には「古都京都の文化遺産」として世界遺産にも登録されましたが、地元京都では昔から「お西さん」と呼ばれ、今も多くの人々に親しまれ続けています。

 

今も静謐な空気に包まれている西本願寺

※写真は京都の中心部でありながら、今も静謐な空気に包まれている西本願寺の境内

 

今回ご紹介した京都府京都市の旅行スポット

 

名称:西本願寺(龍谷山本願寺)
住所:京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺
アクセス:JR京都駅から徒歩約15分
駐車場:西本願寺北境内地駐車場の利用が可能(一部法要日に利用できない場合あり)
参考サイト:浄土真宗本願寺派公式サイト

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

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