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舞子の地で独特の風情を放つ移情閣、稀有な建物の価値を知り、日中交流の歴史を知る旅へ

記事公開日:2017/03/10

明石海峡大橋を望む舞子の地に建つ、八角形三層構造の歴史ある楼閣。「移情閣」と呼ばれているこの建物は風水や八卦思想、そして欧州のゴシック形式が融合した建物とも言われ、日中交流の歴史を今に伝えている建物でもあります。今回は舞子の地を訪れ、この建物の希少性と歴史を知る旅へとご案内します。

明石海峡大橋を望む場所に建つ移情閣


神戸市垂水区の舞子浜に佇んでいる「移情閣」。ここは中国革命の父と言われる孫文を顕彰し、日本で唯一孫文記念館として多くの展示物が並んでいるスポットです。八角形、そして三層構造の建物は大正時代の築造ですが、西洋風のデザインに和の職人技を合わせて造られ、中国吉祥も取り入れたという特筆すべき文化資産とも言われます。


移情閣のすぐ横には本州と淡路島を繋ぐ世界一の吊り橋「明石海峡大橋」が架かり、大正ロマン溢れる移情閣の風情と対比するように、独特な景観を見せてくれる場所となっています。

 

故郷・中国への想いを込めて建てられたという「移情閣」へ

 

孫文は清朝時代の末期、中華民国初期の政治家であり、台湾では国父、そして中華人民共和国では革命の父と呼ばれて慕われる存在です。1866年に広東州(現在の中山市)で生まれた孫文は、1894年にハワイで革命団体興中会を結成して革命運動に目覚めます。そして1895年には武装蜂起を図ったものの失敗し、日本へと亡命して宮崎滔天や犬養毅などの支援を受けながら機会を待ちました。

 

移情閣前に建つ孫文像

 

そして1911年の辛亥革命によって中華民国が成立、孫文は臨時大総統に就任します。1913年(大正2年)の3月14日、準国賓の待遇で神戸を訪れた孫文は、実業家・呉錦堂の「松海別荘」で歓待されます。しかし、当時の中国の政情は依然不安定で、次の大総統の袁世凱と対立して再び8月に日本へ亡命しました。その後、呉錦堂は実業界から引退する際に松海別荘内で三層の楼閣を建て、故郷である中国への想いを込めて「移情閣」と名付けました。

 

移情閣で展示されている品々

 

日本で唯一の孫文記念館として修復、保存されている場所

 

1928年(昭和3年)には国道2号線の拡幅工事によって松海別荘自体は撤去されてしまいますが、この移情閣は残され、現在の姿へと改築されました。しかしその後は1960年代の台風で大きな被害を受け、1983年(昭和58年)に移情閣を引き継いだ兵庫県によって修復が行われ、翌年の11月12日、孫文が生誕した日に「孫中山記念館」(後の孫文記念館)として一般公開されました。

 

移情閣の裏には明石海峡大橋

 

日中交流の歴史を伝える重要な建物として、復原されていった移情閣

 

台風で大きな被害を受けて修復された移情閣ですが、今後は1991年(平成3年)に明石海峡大橋の建設工事に伴って移転されることが決定。移設に向けた調査では、明治から大正時代の別荘建築様式を残す貴重な遺産であり、日本と中国の交流の歴史を伝える重要な建物であると判断されました。そして1993年、兵庫県は指定重要有形文化財として登録を行って保護、歴史的な価値を損なわない当初の姿に「復原」することが決まりました。

 

しかし、その後の1995年(平成7年)には、解体工事中に阪神淡路大震災が発生。この時は工事の終盤であったため、被害は最小限にとどまったものの、約4ヶ月の遅れを持って解体を完了させています。それからは「移情閣復原工事指導委員会」の下で価値保存と後世への継承、耐震対策などの内容を盛り込み、2000年3月に復原工事が完了。2001年には国の重要文化財にも新たに指定されました。

 

移情閣の貴重な内装

 

移情閣の建造物としての歴史的価値を知る

 

移情閣は高さが24m、八角三階建ての楼閣で、木造軸組という日本伝統の工法で組まれているものの、建物の外壁にコンクリートブロックを軒裏まで積み上げるという、極めて特徴的な造りとなっています。この建物の八角形の外観は風水や八卦思想、そして欧州のゴシック形式が融合したものという説もあり、内部の意匠も端正にまとまり、工法や技術を伝える遺構としても高く評価されています。

 

金唐紙の壁紙

 

復元された金唐紙の壁紙

 

移情閣の内装に使われた「金唐紙」。これは和紙を重ねた上に漆を塗って金箔を押すという、日本独自の手法による壁紙であり、この稀少な技術の再現と復元も行われました。1m×2mの和紙、約400枚に対して版木棒で打ち込みを行い、2枚の和紙を袋状に貼ることで厚みのある柔らかい感覚を演出しています。この方法は手間も非常にかかり、約1年半もの期間を要していると言われます。

 

移情閣の天井

 

移情閣が佇む舞子浜は、古来から白砂青松の景勝地

 

古来、畿内の境目でもあった神戸の西、「舞子」。近くには縄文時代の遺跡や弥生時代の銅鐸、兵庫県最大の五色山古墳などもある古い地域です。「舞子」という地名は、平安時代にこの地に流された在原行平との別れを惜しんだ娘、「松風村雨」が舞った事に由来する、または平清盛が福原に遷都した時期にこの地で舞妓が舞った事に由来するなど、諸説があるそうです。

 

移情閣の外観

 

かつては西国街道(山陽道)につながる要衝であり、六甲山脈の西端と海の狭い間に位置する舞子浜。ここは松の名所としても知られ、江戸時代の参勤交代の休憩地としても栄え、歌川広重の名所図、そして松尾芭蕉の句にも残されている土地です。現在は「舞子公園」として整備され、橋の上の遊歩道(海上プロムナード)や旧武藤家別邸洋館、さらに旧木下家住宅、橋の科学館などの施設がある憩いの場となっています。

 

淡路島へとつながる明石海峡大橋

 

今回ご紹介した兵庫県神戸市の旅行スポット

 

名称:移情閣(孫文記念館)
住所:兵庫県神戸市垂水区東舞子町2051舞子公園内
アクセス:JR神戸線 舞子駅下車
参考サイト:移情閣(孫文記念館)公式サイト

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

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