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コウノトリの郷公園、絶滅から34年の時を経て大空に戻ってきた美しい姿を目にする旅

記事公開日:2016/09/13

兵庫県の北部、豊岡市祥雲寺地区には「コウノトリの郷公園」という保護施設があり、この里山では人と自然の共生が実現されています。ここではかつて日本の各地にいたコウノトリを「もう一度大空へ戻そう」という活動が行われ、途切れのない努力によってコウノトリの野生復帰を成し遂げました。今回はその努力と苦難の道のりを辿りながら、美しいコウノトリの姿に思いを馳せる旅をご紹介していきます。

人工巣塔で羽を休めるコウノトリ


豊岡市役所から国道312号を北上して祥雲寺地区へ入ると、そこには懐かしい田園風景が広がっています。そして駐車場から空を見上げるとすぐ近くには人工巣塔があり、そこではコウノトリが悠然と羽を休めていました。最初はこんなに近い距離で目にする事ができるのかと驚いていましたが、日本では一度絶滅してしまったというコウノトリの姿を見ていると、感動を覚えてきます。

 

ここ豊岡市にある「コウノトリの郷公園」は、総面積165haという広さの敷地の中に、観察、飼育、自然の各ゾーンがあり、公開ゲージなどを持つコウノトリの繁殖保護の拠点となっています。

 

コウノトリの郷公園の園内マップ

 

人家のすぐ近くにあるコウノトリの人工巣塔

※写真は人家のすぐ近くにあるコウノトリの人工巣塔

 

コウノトリ文化館

※写真はコウノトリ文化館。ここでは歴史や取組みを紹介していて(入場無料)、環境協力金として100円の寄付を行うと、コウノトリの折り紙が貰えました

 

館内から見える公開ゲージ

※写真は文化館の館内から見える公開ゲージ。自然解説員の話を聞く事もできました

 

1400年前からこの地に生息し、城崎温泉で傷を癒したというコウノトリ

 

日本書紀の中には、「但馬」の地に「時に鳴鵠(くぐい)有りて、大虚(おおぞら)を度(とびわたる)」と書かれた箇所があります。また、城崎温泉では舒明天皇の時代に、コウノトリが足の傷を癒したという伝承が残り、今でも知られる外湯「鴻(こう)の湯」の由来だとも言われます。さらに江戸時代の延亭元年(1774年)、出石城主であった仙石政辰が鷹狩りでコウノトリを捕まえ、賀宴を開いたという記録もあります。

 

天保年間(1830年~1843年)の仙石久利の時代には、コウノトリをおめでたい「瑞鳥(ずいちょう)」として尊び、御用林の桜山を「鶴山」と名づけて禁猟区にし、保護を行なったとも言われます。

 

コウノトリの餌場

※公開ゲージのコウノトリの餌場

 

日本から姿を消していった、野生のコウノトリたち

 

過去の日本の歴史を遡っても、私たちの身近に存在していたコウノトリ。しかし明治時代に入ってからは吉兆の鳥として人々に求められ、乱獲されてしまいました。また、第二次大戦中には航空機燃料の「松根油」を取るために、営巣の場所である松の木が大量伐採され、コウノトリの生息地が奪われていきました。

 

そして最大の危機となったのは、戦後の高度成長期の乾田化による湿地の減少、農薬散布によるドジョウやフナなどの餌の減少による生息環境の悪化。さらに致命的だったのはコウノトリの体に農薬が蓄積し、繁殖力そのものに影響を与え、個体数が減少していった事でした。

 

美しいコウノトリの姿

 

コウノトリをもう一度大空に戻そう。野生復帰のプロジェクトが始動

 

但馬豊岡地域は、豊かな自然環境とコウノトリを保護する風土があったため、国内最後の生息地と言われてきました。そして昭和31年(1956年)、コウノトリは「特別天然記念物」に指定され、地域と行政が一緒になって本格的な「野生復帰プロジェクト」を始動させました。それはコウノトリが安定して生息する事ができる環境を整え、野生の中に返そうという「コウノトリとの約束」でした。

 

空を舞うコウノトリの姿

 

最後の一羽が死亡して絶滅。日本から姿を消したコウノトリ

 

プロジェクトは生態の研究から始まり、子供たちの「ドジョウ一匹運動」など、一般市民も一緒に保護の活動を行っていましたが、コウノトリの個体数の減少は食い止められず、昭和40年(1965年)には野生のコウノトリが12羽にまで減ってしまいます。

 

そのため、やむなく捕獲した上で人工飼育の取組みを始めますが、産卵数は減り、産卵しても孵化しないという状況が続きました。後の調査結果に拠ると、農薬の蓄積や個体数減少による近親交配、コウノトリ自体の老齢化などが繁殖力低下の原因になっていたと言います。そして昭和46年(1971年)の5月25日、午前8時37分、ついに最後の一羽が死亡し、野生のコウノトリは絶滅してしまいました。

 

コウノトリを伝える展示の数々

 

幼鳥が日本へと贈られ、復帰に向けた道がつながる

 

当初は厳しい結果を迎えたプロジェクトだったのですが、まだ希望を完全に捨ててはいませんでした。世界の中ではロシアのアムール川流域などにまだコウノトリが生息していたからです。そして昭和60年(1985年)、政治の友好関係の進展のもと、ロシアから生育のよい幼鳥6羽が日本へと贈られます。そしてそこから平成元年(1989年)に2羽の雛が誕生し、復帰への道が繋がっていったのでした。

 

水田に降り立つコウノトリ

 

絶滅から34年の時を経て、ついにコウノトリが日本の大空を舞う

 

それからプロジェクトは再び動き出し、ドジョウやカエルのいる湿地、巣作りに適した松の樹の有無などの調査を行い、地域住民の協力が得られた円山川の支流域、祥雲寺地区にコウノトリの繁殖地を確保します(コウノトリの郷公園)。そしてここに自然順化の場所と大学の研究施設が作られ、繁殖した幼鳥を自然に帰すための準備が進められていきました。

 

地域の地形(模型)

 

そして時は流れて平成17年(2005年)へ。この年の9月24日に、最初の5羽がこの地から放鳥されました。この時には秋篠宮同妃両陛下をお迎えし、約3,500人もの人々がその様子を見守りました。実に保護活動を始めてから50年、そして絶滅から34年もの月日を経て、コウノトリが再び日本の大空を舞いました。それはコウノトリとの約束を果たし、野生復帰を遂げた歴史的な瞬間でもありました。

 

ここを訪れた秋篠宮同妃両陛下

 

今、取り組みは継続的な活動へと進化を遂げている

 

「コウノトリの郷公園」によると、2016年8月時点でコウノトリの放鳥数は90羽、そして飼育中は95羽、さらに野生が1羽、合計186羽が確認されているそうです。豊岡市では平成24年(2012年)に水鳥生育地の湿地保全のために「ラムサール条約」の申請を行い、認定登録されています。これはこの地に住む鳥たちの湿原を守り続けていくことを、公式に宣言したことを意味します。

 

水辺を行くコウノトリ

 

さらに地元では住民や農業者の有志たちと継続的な検討会も行われていて、無農薬農業への取組みも早くから進められてきました。その中では「コウノトリ育む農法」という特徴的な田圃の「水管理」の取組みも行われ、冬でも水を張る「冬季湛水」、田植え前の早めの「早期湛水」、雑草を抑える「深水管理」、カエル変態後の中干し(水抜き)など、水を絶やさずにコウノトリの餌を確保する農法が行われています。また、無農薬栽培及び減農薬栽培で作られた米は「コウノトリ育むお米」として、この地のブランド米にもなっています。

 

ここから幸せ発信と書かれた郵便ポスト

 

「コウノトリの郷公園」。この地域では特別天然記念物であり、絶滅危惧種でもあるコウノトリが、穏やかに大空を舞っています。ここでその姿を見ていると、コウノトリを保護して共生していくことは、実は我々人間自身の生活環境を守る事なのだと、改めて教えてくれているような気がします。美しく舞うコウノトリの姿、皆さんも機会があれば、この貴重な光景を目にしてみてください。

 

今回訪れた兵庫・豊岡市の旅行スポット

 

名称:兵庫県立コウノトリの郷公園
住所:〒668-0814 兵庫県豊岡市祥雲寺字二ヶ谷128番地
アクセス:JR山陰本線「豊岡駅」から全但バス「コウノトリの郷公園」または「法花寺」下車
参考リンク:コウノトリの郷公園公式サイト

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

 

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