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九州最大の城郭とされる福岡城、黒田如水・長政父子が心血を注いで築いた堅城跡を巡る旅

記事公開日:2016/05/24

福岡城は天才軍師・黒田如水と猛将・黒田長政父子が心血を注いで築いた城。その縄張りは文禄、慶長の役の際に、日本軍が攻めあぐねた朝鮮の堅城、晋州城を手本にしたと言われています。今回は九州最大の城郭とされる福岡城を巡り、その壮大さと堅固さを知る旅へとご案内します。

福岡城の下ノ橋大手門

※写真は下ノ橋大手門

 

8万坪の広大な縄張りと47の櫓を配したとされる巨大城郭

 

慶長5年(1600年)、黒田長政は関ヶ原の戦いの功績によって筑前一国である52万3千石を得て、豊前、中津から筑前へと入ります。当初は前の筑前太守、小早川隆景の居城であった博多湾東部、多々良川河口の名島城に入城しますが、手狭な上に地の利が悪かったため、新たな城の築城を思い立ちます。

 

長政は父、如水とともに城地を選定し、堺と並ぶ商都であった博多と那珂川を挟んで隣接する福崎丘陵を城地としました。そして同年に着工し、8万坪もの縄張りを誇り、47の櫓を配したとされる巨大城郭が、慶長11年(1606年)に完成しました。さらに長政は周辺の干潟を埋め立てて城下を整備し、新都に備前の黒田家ゆかりの地、「福岡」の名を付けています。

 

下ノ橋大手門と伝・潮見櫓

※写真は下ノ橋大手門と伝・潮見櫓(ともに県重要文化財)

 

南丸隅櫓と多聞櫓

※写真は南丸隅櫓と多聞櫓(国重要文化財)

 

天下の大軍師・黒田如水が全智を傾注して造らせた実戦本意の城

 

福岡城は名城として名高い加藤清正の熊本城を凌ぐと言われる巨大城郭で、九州一の規模を誇るとされます。この城は梯郭式平山城で、大きく湾入した干潟、草香江(大濠)を城域に取り込みます。

 

この福岡城の縄張りは、文禄の役の際に日本軍が攻めあぐねた朝鮮、慶尚道の堅城、晋州城を手本にしたと言われますが、確かに晋州城は福岡城とよく似ており、縄張りは東西に長くて南北に短い四辺形で、水濠を前に鶴翼を広げた構えとなっています。晋州城が南江に臨み、福岡城が草香江に臨むこともまた共通しています。しかし、福岡城の外郭に関しては殆どが土塁であり、城門や櫓もいたって質素な造りとなっています。

 

黒田如水は豊臣秀吉の軍師であり築城の名人ともされ、大坂城や広島城の築城にかかわり、朝鮮出兵の拠点・名護屋城の築城奉行としても縄張りを行っています。その如水が全智を傾注し、実戦本意の城を造らせたとされます。福岡城の防衛戦略は極めて実戦的なものでした。

 

如水が手本にしたもう1つの例が、小田原市街を取り込んだ周囲9㎞に亘る小田原城の「惣構え」でした。秀吉の小田原攻めの際、秀吉軍は20万の大軍で小田原を包囲しながらも、その構えの堅固さに城攻めを諦め、如水は自身で北条父子を説得して無血開城させています。

 

福岡城に関しては東の那珂川をもって外濠とし、西は草香江(大濠)を外構えとしています。しかし実際は那珂川の東、石堂川(御笠川)沿いに寺を並べ、築地を立てて城壁とし、博多の町をその内側へと取り込みます。また、大濠に流れ込んでいた樋井川を西に流し、その川畔にも築地を構えた寺を配し、城下を取り込む「惣構え」ともしています。さらに南域の鴻巣山を南の構えとした痕跡も見え、その防衛戦略は広大であったようです。

 

江戸期福博図(福岡城下図)

※写真は江戸期福博図(福岡城下図)

 

本丸に残る巨大な天守台と礎石。そして謎とされる天守の存在

 

近年まで、福岡城には天守が無かったとされていました。これは正保3年(1646年)に作られた、福岡城を描いた最古の絵図「福博惣絵図」に天守が描かれていないためであり、幕府への遠慮から福岡城に天守を建てなかったとされます。しかし実際は本丸の巨大な天守台には礎石が残り、天守の存在を思わせていました。

 

そして近年、豊前・小倉藩主の細川忠興が、子の忠利へ宛てた元和6年(1620年)の手紙の中に「黒田長政が幕府に配慮し天守を取り壊すと語った」と、福岡城の天守の存在を窺わせる記述が発見され、築城当初は天守が建てられていた可能性がある事がわかりました。

 

本丸に残る巨大な天守台

※写真は本丸に残る巨大な天守台

 

天守台に接する総石敷の武具櫓御門跡

※写真は天守台に接する総石敷の武具櫓御門跡

 

天守想像図

※写真は天守想像図

 

三の丸の鴻臚館跡と展示館

※写真は三の丸の鴻臚館跡と展示館。鴻臚館(こうろかん)は、奈良、平安期に設置された外交、海外交易の施設。遣唐使や唐人たちが滞在しました。福岡城築城以前の福崎丘陵に造られていたもので、三の丸から遺構が見つかっています。

 

上ノ橋大手門から城内に入ったところには「福岡城むかし探訪館」が開設され、バーチャルムービーや再現模型、古地図等で福岡城を紹介しています。また観光案内所や茶房も併設されていて、ボランティアガイドによるツアーも人気を集めています。

 

今回ご紹介した福岡・黒田如水と長政父子ゆかりの地

 

名称:福岡城むかし探訪館
住所:福岡県福岡市中央区城内
アクセス:市営地下鉄「赤坂」徒歩8分
駐車場:城内駐車場あり
開館時間:9:00~17:00
参考リンク:福岡城むかし探訪館

 

あらき 獏(ばく)あらき 獏(ばく)

情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。

 

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