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日本三大修験の英彦山、英彦山神宮を巡り、英彦山成立の伝承に触れる北部九州旅

記事公開日:2016/02/09

福岡県と大分県の境にある「英彦山」は、「日本三大修験」のスポットの1つとされ、「彦山三千」「八百坊」と言われる修験の霊場、「英彦山権現」として栄えました。今回は「英彦山神宮」を参拝し、古代より霊地とされた英彦山の成立の謎に触れる旅をご紹介していきます。

英彦山神宮の奉幣殿

※写真は英彦山神宮の奉幣殿(重文)。かつての英彦山霊仙寺の大講堂で、小倉藩の藩祖・細川忠興によって建立され、朱塗りの社殿が緑に映えます。

 

英彦山は天照大神の御子、天忍穂耳命を祀る九州北部の神域

 

今回ご紹介する「英彦山(ひこさん)」は、出羽の羽黒山、熊野の大峰山と並んで「日本三大修験」とされています。縁起によると、531年(継体25年)に北魏の僧・善正がこの山を霊場と定め、英彦山権現を祀る修験の道場、霊仙寺として栄えました。最盛期には3,000人もの衆徒と800もの坊舎を数えましたが、明治の神仏分離において英彦山神宮となりました。

 

しかしこの山は、山岳仏教の修験が持ち込まれるよりも古くの時代から九州北部の神奈備(かんなび:神域)とされ、日神、天照大神の子、天忍穂耳命を祀ることで日子山(ひこさん)と呼ばれています。山頂から上津宮、中津宮、下津宮、そして中腹には奉幣殿が鎮座し、山中には末社や坊舎跡などの史跡が散在。ここは九州屈指の霊峰とされ、参拝客、登山客で賑わいを見せるスポットとなっています。

 

石敷きの参道

※写真は石敷きの参道。銅の鳥居から奉幣殿までは参道が続き、両側には寺坊の跡が残ります。また、参道に平行して奉幣殿へと至るスロープカーも設置されています。

 

銅の鳥居(重文)の扁額

※写真は銅の鳥居(重文)の扁額。銅の鳥居は佐賀藩主・鍋島勝茂の寄進による青銅の鳥居。英彦山は元々「彦山」の表記でしたが、霊元法皇より「英」の字を冠されました。

 

神域・英彦山成立の謎。英彦山周辺の高木神祭祀「鷹の神祇」とは?

 

九州北部には「大行事社」と呼ばれる48社の英彦山の末社群が展開しています。この末社群は英彦山の祭神である天忍穂耳命ではなく、「高木神(高御産巣日神)」を祀っています。そして、英彦山の山頂域が高木神祭祀の旧地とされ、山頂の直下には高木神を祀る「産霊神社」が鎮座し、英彦山の本来の祭神は高木神であったとされています。

 

神話において高木神は、天地開闢(てんちかいびゃく)の時に最初に現れた造化神の一人。そして天照大神の子、天忍穂耳尊は高木神の娘である萬幡豊秋津師姫命を妃として、天孫・邇邇藝尊(ニニギノミコト)が生まれます。これは高木神が娘婿の天忍穂耳尊に対して英彦山を譲ったという構図とも言えます。

 

そして九州北部には「鷹(たか)」の神祇と呼ばれるものがあります。善正による開基伝承によると、英彦山の神は「鷹」の姿で現れます。そして神紋を「鷹羽」とし、東麓の霊山を鷹巣山、第一の末社を鷹栖宮(高住神社)とします。また、英彦山の土地である田川(たがわ)も古くは鷹羽郡でした。まさに「鷹」だらけです。

 

「鷹」の神祇とは修験にまつわるともされていますが、その根底には根源的な信仰が見えます。英彦山の本来の祭神が高木神であり、英彦山の神が鷹の化身であることは、「鷹」の神祇が高木神に由来するとも見えます。筑後の伝承では高木神は「鷹」の姿とされており、小郡の隼鷹神社に祀られています。「鷹」とは高木神の「たか」に由来し、高上ゆえに天空高くあり、猛禽(もうきん)とされた神の異名です。

 

北九州の八幡には、鷹羽の神紋を掲げる「鷹見神社群」の存在があります。穴生や永犬丸、市瀬などに6社ほどの鷹見(高見)神社が鎮座します。本宮の穴生の社地が鷹ノ巣、永犬丸の社地の奥に鷹(高)見山といったように「鷹」の地名が散在し、市瀬の縁起では神は鷹の姿で飛来し、鷹見大権現を号したと伝承させます。

 

そして遠賀川の流域、直方の神域が鷹取山で、鷹羽が転じたとされる田川の中枢、後藤寺の氏神は「豊櫛弓削遠祖高魂産霊命」なる高木神とされます。後藤寺は古く、高木神の後裔、天日鷲翔矢命の裔とされる弓削氏族の地でした。また、同地の香春の地主神、香春神社も神紋を鷹羽とし、元宮の古宮八幡宮の地が「鷹巣」と呼ばれる森でした。この社の神は宇佐八幡宮の正体とされる銅鏡の化身で、宇佐においても八幡祖神が鷹の姿で現れて「鷹居社」に祀られ、宇佐八幡宮の創始譚に繋がっていきますが、宇佐氏の祖、菟狭津彦も高木神の子孫でした。

 

また、英彦山の南麓にある「日田」の地名由来も「鷹」の神祇と関係があります。日田の大湖に羽を浸した大鷹は、湖水を流して日隈を出現させます。さらに比多(ひた)国造も高木神の5世孫、剣根命(つるぎね)の後とされます。その下流域、高良玉垂命を祀る筑後国一宮、高良山は古名を「鷹群山(高牟礼)」とし、麓の地主社に祀られる高木神はもとは山上にあり、高良山の本来の祭神であったとされます。

 

鷹羽の神紋を掲げる神社群が濃密に鎮座し、「鷹」の地名を散在させるこの地。「鷹」の神祇が九州北部を縦断し、その中枢に英彦山がある。この連鎖が意味するものとは何なのでしょうか?

 

鷹見神社群に掲げられる鷹羽紋

※写真は八幡の鷹見神社群に掲げられる鷹羽紋

 

鷹とされた戦闘集団の痕跡が残る。修験以前の英彦山は、鷹をトーテムとする民の神域

 

前述の後藤寺の弓削氏族は弓に由来する氏族として知られます。後藤寺の北にある、伊方(いかた)の伝承によると、伊方の民は弓に長じ、天皇の軍の先鋒とされます。また、日田には矢にまつわる「靱編連(ゆぎあみ)」の存在があります。靭とは矢を入れる器であり、靱編連(ユギアミノムラジ)とは靭を作る氏族。この氏族もやはり、天皇を守る軍団とされました。日田の下流域、浮羽は「的(いくは)」に由来し、ここもまた弓矢に関わる地でした。

 

もとより、遠賀川流域には鞍手の剣(つるぎ)岳を中心に、新延の剣神社、木月の劔神社など、「剣」の神社群が密集しており、古くは物部氏に関わる「剣」の神祇があったとされます。この九州北部の「鷹」の神祇域には氏族や戦闘集団の痕跡が見え、高木神を奉じる民はその猛々しさ故に「鷹」をトーテムとしたのでしょうか。

 

古くは「戦(いくさ)」という字は戦士の象形に由来したとされ、三本の鷹羽を頭に飾った人物を表す「単」が左手に「戈(ほこ)」を持った象形とされています。古代中国において武人は冠に鷹羽を挿すとされ、北部九州では頭に羽根飾りをつけた戦士を描いた弥生土器が出土しています。鷹羽が「矢羽根(やばね)」の素材とされ、後の時代に鷹羽紋が勇猛を表し、武家がそれを用いていきます。鷹羽とは戦士の証(あかし)であり、高木神に纏わる「鷹」の神祇は猛禽とされ、猛々しい戦闘集団の象徴なのかもしれません。

 

「鷹」の神祇に見えるものは、古代の遠賀川流域から英彦山南域にあった戦闘集団、高木神氏族の痕跡です。神話における高木神は天孫降臨、国譲り、神武東遷などの重要な場面に登場し、王権の成立時における存在感を見せています。邇邇藝尊(ニニギノミコト)の降臨においては、高木神は思兼神などの子神たちを随伴させ、先導の天忍日命の共に天磐靫、天梔弓、天羽羽矢を帯びさせています。つまりここ、英彦山域には高木神にまつわる神話の原初が見えるのです。

 

天孫を守る高木神の神霊は、今も皇室の守護・八神の第二神として宮中三殿に祀られます。九州北部域の霊峰、英彦山は「鷹」とされた天孫の戦闘集団、高木神氏族が祀る神域であったようです。

 

英彦山国定公園の観光案内板

 

今回訪れた福岡・田川旅のスポット

 

名称:英彦山神宮
住所:福岡県田川郡添田町大字英彦山1
アクセス:JR日田彦山線「彦山駅」よりバスで約20分
駐車場:無料駐車場あり
参考リンク:英彦山神宮の公式サイト

 

あらき 獏(ばく)あらき 獏(ばく)

情報誌の編集者を経て、現在は文化、歴史系フリーライター。歴史を側面から探ることで、歴史の謎解きを楽しんでいます。

 

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