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日本標準時の街・明石、宮本武蔵が闊歩し柿本人麻呂が詠んだ、子午線パワーの地を巡る旅

記事公開日:2015/10/08

日本標準時、東経135度の子午線が通る「明石」の街。今回はこの街にゆかりのある偉人たちの足跡を辿りながら、明石の街の魅力についてもご紹介していきたいと思います。

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山陽電車の「人丸前駅」を降りると、目の前に大きな時計が付いた塔。ここは日本標準時、東経135度の子午線が通っている街「明石」です。

 

人丸前駅の大きな時計

 

この天文科学館の裏には「子午線標示柱」というものがあり、ここが基準になっています。ちなみに世界の基点は1884年の会議で、イギリスグリニッジ天文台を通る子午線に決められました。経度15度毎に1時間の時差が生じ、日本は135度(時差9時間)を基準としています。

 

子午線標示柱

 

そして明石の街では毎年「時の記念日(6月10日)」に「子午線通過記念証」というものが配られます。52回目となった2015年には、「漏刻(昔の水時計)」の画を染めた手拭いが配られたそうです。記念品は毎回趣向を凝らした数量限定のレア品で、隠れた人気にもなっています。

 

明石市立天文科学館のプラネタリウム投影機

 

また、明石市立天文科学館には、ドイツのカールツアイス製のプラネタリウム投影機があります。1960年から55年も稼働し続け、日本最長の記録という歴史的な価値があります。この場所は多くの子供たちでとても賑わっていました。

 

柿本人麻呂を祀る「柿本神社」へ

 

柿本神社

 

そして明石市立天文科学館のすぐ裏に、今回の目的地の1つである「柿本神社」があります。この神社は飛鳥時代の歌人「柿本人麻呂」を祀っていて、明石の地を詠んだ歌もあります。「天離る 夷(ひな)の長通ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ」。長い航海の後に明石沖から大和の地が見え、無事に着いた喜びと安堵感を表現したという歌です。

 

柿本神社の境内

 

柿本神社では仁和3年(887)頃から神霊として人麻呂を祀っています。また、天正9年(1581)に羽柴秀吉が神仙の地として30石高を寄進しています。そして江戸時代に入り、明石城築城に伴って現在の地に移築され、長く親しまれています。

 

御神木の筆柿

 

柿本神社の境内には「御神木の筆柿」があり、「夫婦和合の神」としても祀られています。お宮参り、七五三詣など、子供たちの無事な成長を願ってお詣りする方も多い神社です。

 

播磨三名水の1つとして知られる「亀の水」

 

参詣道「人丸山西坂」

 

そして参詣道「人丸山西坂」を下っていくと、名水「亀の水」があります。元和7年(1621)に、湧き出る清水を引いて石亀の口から甕に受け、お詣りする人々に供されてきました。この水は「長寿の水」と伝わり、「播磨三名水」の1つとして、今も多くの人々が汲みに来ています。

 

播磨三名水「亀の水」①

 

播磨三名水「亀の水」②

 

この亀の水は明石城跡から700mほど東側に位置します。更に話を進めていくと、実はこの辺りは宮本武蔵のゆかりの場所だとも言われています。

 

宮本武蔵が町割りしたと伝わる明石の街

 

宮本武蔵は巌流島で小次郎を倒した後に大坂の陣へ参戦。その後、姫路城主の本多忠政の息子の忠刻(千姫の夫)の剣術指南として姫路に一時期滞在しました。そして同じ時期に、小笠原忠政が明石10万石に任ぜられ、元和4年(1618)に明石城の築城を開始、それに合わせて町割り(都市計画)を行うために、武蔵を客分として招いたと言われています。

 

明石の町割りを伝える図

 

宮本武蔵は剣術だけでなく庭園造りにも長けていて、柿本神社近くの「本松寺」や「雲晴寺」、更には「円珠院」、明石城内等の庭園設計も行ったと言われて、明石の街の発展に寄与しています。そしてその間、「亀の水」付近に自らの居を構えていたのではないかとも言われているのです。

 

更に歩みを進めていきましょう。この亀の水の場所から西へ20分ほど歩くとJR「明石駅」に到着できます。本日は途中で子午線の持つ「力」にも思いを馳せながら、のんびりと明石駅までウォーキングしてみたいと思います。

 

東経135度、子午線上のエネルギーを探る散歩旅

 

子午線は南北12の市を通っています。北は京都府の京丹後市、南は和歌山市の友が島を抜けます。そして各所には標識やモニュメントも設置されています。昨今巷ではパワースポットというものが流行っていて、子午線上の各地に「魂の地」を求めるパワースポット探しが盛んなようです。子午線が通過する総距離は約160Kmにもなりますので、霊験あらたかな場所も多いからなのでしょう。もはや「パワーライン」とでも呼ぶべきかもしれませんね。

 

尚、柿本神社については、現在の子午線位置に移築された江戸時代以降、「正一位」となり、文人墨客の来訪も絶えない格式の高い神社として繁栄し、今も崇められています。そして宮本武蔵が住んだという「亀の水」辺りは、子午線標識の西120mの場所です。この地は、2002年以降に採用された世界測地系(GPS系)で、東経135度ジャスト(00分00秒)の地点になるそうです。

 

【少し余談】パワースポットファンに贈る、知られざる秘境スポットの地

 

子午線の最南端である和歌山市「友ヶ島」諸島の「沖ノ島」。ここは紀淡海峡に浮かぶ小さな島です。そこには要塞跡があり、「ラピュタの世界」にそっくりと最近評判で、「思わず滅びの呪文を叫びたくなる!」という霊気に満ちた秘境スポットになっていると聞きます。ちなみに写真でみると以下のような感じです。

 

ラピュタの世界とも言われる友ヶ島

 

東経135度と北緯35度の交点、「日本のへそ」は最強パワースポット

 

日本へそ公園駅

 

パワースポットの話を兵庫県に戻すと、ここから40km北の兵庫県西脇市には、JR加古川線の駅名で「日本へそ公園駅」という駅があります。そしてここには経緯度交差点の標識があります。

 

日本へそを示す標識

 

京都の晴明神社、西の道満塚のちょうど中間点でもある場所

 

晴明神社と道満塚の中間点

 

以前の記事でもご紹介しましたが、兵庫県の西端には「晴明塚と道満塚」があり、京都の晴明神社と同じ緯度にあります。それがこの北緯35度線です。そして更に驚くべきことに、この「経緯度交差点」が晴明神社と晴明塚・道満塚のちょうど中間点に当たります。それは兵庫県佐用町に流された芦屋道満と、京の安倍晴明が東経135度の子午線を「対称軸」とし、北緯35度上の同距離(64km)で対峙していたということにもなります。

 

もしここに高い塔でも建てれば、東に晴明神社、西に道満塚、南に柿本神社が見通せるはずです。この近くには4世紀頃の岡之山古墳もあり、なにかスピリチュアルなポイントに感じられてワクワクします。

 

最後は昼網で上がったばかりの鮮魚の市「魚の棚(うおんたな)」を散策

 

明石、東魚町の「魚の棚」①

 

妄想を膨らませながら歩いているうちに、明石公園近くに到着しました。JR「明石駅」のガード下をくぐり、国道を越えて浜側のアーケード街が見えてきます。ここは宮本武蔵の町割りによって「東魚町」と「西魚町」が作られ、鮮魚を扱っていた東魚町が現在の「魚の棚」として続いているそうです。

 

明石、東魚町の「魚の棚」②

 

神戸、大阪などの大消費地にも近い明石では、昼網のセリ「昼市」というものが行われています。小売店も直接セリに参加できるのが特徴で、水揚げされた鮮魚がそのまま小売りされるという、鮮度を第一にした全国でも特異な流通の形態ですよ。

 

新鮮な魚たち①

 

新鮮な魚たち②

 

昼網の新鮮なエビは跳ねまくり、道端にはそれを受ける「バット」までもが置かれています。蛸は自力でトロ箱から逃げ出しますが、道を半分ほど横断する頃には捕まってしまいます。

 

明石名物の蛸

 

祝休日などは魚の棚の各店は混雑しますが、一筋違う場所にも様々な店がありますので、周囲を散策するのもお薦めです。さらに二筋ほど南へ行くと、海岸には蛸が踊るイラストが描かれた淡路島行の高速船も目にする事ができますよ。

 

淡路島行の高速船

 

今回の歴史旅で訪れたスポット

 

名称:柿本神社・天文科学館
住所:兵庫県明石市人丸町
アクセス:山陽電鉄「人丸前駅」から北へ約0.2km

 

名称:日本へそ公園
住所:兵庫県西脇市上比延町
アクセス:JR加古川線「日本へそ公園駅」下車すぐ

 

名称:明石・魚の棚
住所:兵庫県明石市本町1丁目1-16
アクセス:JR・山陽本線明石駅下車徒歩5分

 

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

 

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