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書冩山圓教寺、一千年の法灯を今に伝える、播磨の古刹を訪ねる歴史旅

記事公開日:2015/09/03

平安時代の康保3年(966年)、性空上人が開基した書冩山圓教寺。乱世の時代に翻弄されながらも、千年にわたって朝夕欠かさない勤行で燈明(法灯)を守り続けた僧侶たち。その静謐な霊域と圧倒される荘厳な伽藍は、今の時代に生きる我々をも魅了し続けます。そんな心洗われる地を今回訪ねてみました。

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書寫山は国宝姫路城から北西にバスで約30分とそう遠くない場所にあり、麓からはロープウェイに乗って4分ほどで山上駅へと着きます。ここは意外と近い場所ですが、不思議なもので書写の山に入ると、何か日常と違う静けさに神経が鋭敏になる感じがします。

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書寫山の標高は371mとそれほど高い山ではないものの、古来祖霊の宿る山として崇められてきました。仏教の広がりとともに行者が山に籠もり、山岳信仰の道場となっていきます。修行僧は行として一心に写経の勤めを果たし、いつの日からかこの山が書寫山と呼びならわされたと言われています。

 

三十三霊場の観音様に見守られながら表参道の巡礼道を10分ほど歩くと、目の前に「八脚門」が見えてきます。仁王門です。この門をくぐると結界を越え、聖域圓教寺境内へと入ります。参道を覆う大木の下を歩くと、うっそうと茂る木々の葉が風にそよぎ、参詣に向う人の心に語りかけてくるような感覚になります。それが圓教寺一千年の時が作り出す霊験の力なのでしょうか。

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仁王門を越えて少し歩くと古木が頭上を覆い、寄進者の古い石標が並ぶ、なだらかな道になります。そしてその木々の道を抜けると唐突に視界が開けます。姫路城主・本多忠政寄進の「湯屋橋」を渡ると、目の前に「書寫山圓教寺」の寺標があり、仰ぎ見る高さに「摩尼殿(まにでん)」が見えてきます。

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石段を登ると魔尼殿の入り口です。

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剣に巻きつく登り龍が睨みを利かせます。手水舎で身を浄めましょう。

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摩尼殿は京都の清水寺の舞台と同じく傾斜地を削って段差を作り、多くの柱で本殿を支えている懸崖(かけ)造り構造になっています。山上とはいえ書寫山には平地の余裕はあります。なぜ工事の難しいこの崖地を選んだのでしょうか?それには理由がありました。

 

性空上人が入山して四年目の天禄元年(970)、天人が舞い下りて崖地の桜の木をさかんに拝むのを見て、感慨を受けた上人はその桜の生木に一心不乱に如意輪観音像を彫りました。そしてその観音像を圓教寺の本尊として崇めました。そうなると本尊を安置する本堂はその桜の木の場所に造るしかなく、厳しい崖地に本殿を建造したと伝えられています。

 

御朱印を頂いてみたり、お堂の上に佇みから木々の囁きを聞くのも癒されます。眼下には茶店が見えます。

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摩尼殿を下から仰ぎ見ると重厚で堂々とした造りに目を見張ります。但し、この摩尼殿は未だ文化財の指定にはなっていません。

 

この摩尼殿は過去に2度焼失しています。1度目は室町時代の延徳四年(1492)、2度目は大正10年、護摩の残り火で焼失しました。当時の第138代大樹承算(じょうざん)住職が全てを寄付で賄う為に奔走し、また、図面などが残っておらず、写真と「柱どり」の平面図から再設計を行い、それらに加えて山岳工事となるため、麓から瓦を運び上げるために近隣の村人たちが数枚ずつを背負って運ぶという難工事だったそうです。

 

寺と檀家の人々が総力を尽し、12年の歳月をかけて昭和8年5月8日に再建、落慶法要が催されました。戦乱の世をもくぐり抜けた圓教寺ですが、火事との戦いでもありました。この摩尼殿が重要文化財になるには、まだ数百年の時が必要かもしれません。

 

そのまま摩尼殿の裏を通り、木々が生い茂る小道を進みます。ここには幹回り8mを越える樹齢700年の杉が威容を誇ります。戦国時代、豊臣秀吉は三木城攻めの拠点をここ圓教寺に置いています。天正6年(1578)のことです。その秀吉をこの700年杉が見下ろしていたはずです。そんな風に思うと、何だかぞくぞくしてきます。歴史を思うのは楽しいですね。

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重要文化財の大講堂へ

 

そして5分ほどで、中央に白州の広場があり、三方を荘厳な建物が囲う場所に出ます。右側が大講堂、正面が食堂(じきどう)、左に常行堂(じょうぎょうどう)があり、コの字型に建っています。3つのお堂が並んでいて「三之堂」と総称されています。

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大講堂(国指定重要文化財)は、お経の講義などが行われる学問と修行の場でした。寛和2年(986)の花山法皇の勅願により建造されたのが始まりですが、永享八年(1436)に焼失、その後に再建されています。本尊は釈迦三尊像(重文)で、内陣は瓦敷きの土間になっており、これは京都延暦寺根本中堂と同じ天台宗院独特の形式で、現存する最古の例と言われています。歴史を感じる堂々たる佇まいを見せていますね。

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食堂(じきどう)(国指定重要文化財)。本来は修行僧の寝食のためのもの。承安4年(1174)の後白河法皇の勅願によるものと言われています。鎌倉時代に2階建13面となり「三宝院」と改称されましたが、2度の焼失があり、現在の建物は室町時代(寛正四年(1463)以降)の再建。

 

規模が大きすぎたのか、2階部分が未完成のまま500年が経ち、昭和38年(1963)の解体修理に合わえて2階部分を完成させたという曰くのある建物です。何らかの因縁があったのでしょうか、ぴったり500年放おっておかれた点が、なぜかスゴイなと思わせるお堂でした。

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常行堂(国指定重要文化財)。本尊は丈六阿弥陀如来坐像(重文)。常行三昧(阿弥陀仏を称えながら修行)する為の道場でありました。中央には「舞台」があり、大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納していたと言われます。2度の焼失を経て、現在の建物は享徳2年に上棟されています。

 

これらの三之堂は、同じ永享6年(1436)に火災が発生し、全てが燃えたとあります。その火災の原因は何であれ、当時は室町時代中期の戦乱の世、再建には金も人手も苦労をしたのでしょう。約20数年をかけて再建されたようで、長い年月の苦労が忍ばれます。大講堂は2階の一部、食堂は2階全部が未再建のまま残されたのも解るような気がします。

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さらに進んでいくと樹間から「奥の院」が見えてきます。ここは祈りの地で静かなところですが、性空上人を祀るパワースポットでもあります。この落ち着いた雰囲気が好きな人には人気の場所です。

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乙天社と若天社の2つに神社が並ぶ「護法堂」。性空上人に仕えた2人の童子を祀っています。護法堂に向かい合って建っている「護法堂拝殿」は、神社形式を取り入れた仏殿のような珍しい拝殿です。別名「弁慶の学問所」と呼ばれ、弁慶が鬼若丸とよばれた子供の頃、ここで修行したと伝わっています。

 

性空上人を祀る「開山堂」は、寛弘四年(1007年)の性空上人入滅後に、弟子の延照律師が創建したと言われています。以来1000年の法灯を守り、朝夕欠かさずに勤行(ごんぎょう)が行われている。まさに祈りのエリアです。ちなみに平成20年のエックス線調査で、開山堂本尊の性空上人像の頭部に、御真骨が納められていることが確認されています。

 

書写山圓教寺は、国指定の重要文化財13棟という歴史的資産の多さだけでなく、それぞれが重厚であり荘厳です。そしてこの日本独自の趣きが海外からも評価され、ロケ地としても評価されています。

 

2003年にトムクルーズと渡辺謙が出演した映画「ラストサムライ」。「ラストサムライのエドワード・ズウィック監督が最初にロケハンに来たそうですが、三之堂周辺に古い日本のイメージが残っているのに感動したようです」と、当時の様子を大樹孝啓住職が語っています。

 

映画の撮影では、ヘリコプターで書写山入りし、「十地院」にソファー、ベッド、テレビを持ち込み、休憩室に使っていた。奥の院では10秒の撮影のために、雪の準備に1週間の時間をかけた。などといった点も話題を呼びました。

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立ち寄ったお茶屋さんで、その当時の写真を見せて貰いました。なかなか豪華な応接セットなどが置かれています。さすがスターですね。お坊さんたちやスタッフと一緒に撮った記念写真もありました。

 

2003年、武蔵(NHK大河ドラマ) 市川新之助(海老蔵)
2011年、源氏物語・千年の謎(東宝) 生田斗真、中谷美紀
2012年、天智明察(角川映画・松竹) 岡田准一、宮崎あおい
2014年、軍師官兵衛(NHK大河ドラマ)岡田准一、中谷美紀

 

秀吉の命で書写山に陣を張る場面の撮影でしたが、実際に秀吉も天正6年(1578)にこの地に陣を作っています。先に挙げた700年杉は、当時の秀吉とドラマ撮影の両方の場面を見ていたのですね。ますます楽しいですね。撮影時は姫路の人たちもエキストラで参加し、盛り上がったそうです。

 

2015年、駆込み女、駆出し男(松竹)大泉洋、戸田恵梨香
2015年、黒衣の刺客(松竹メディア事業部)スーチー、妻夫木聡

 

第68回カンヌ国際映画祭の「監督賞」を取った作品です。台湾のホウ・シャオシェン監督の制作期間は5年という大作です。摩尼殿や食堂で撮影されています。ちなみに2015年9月にロードショーのようです。

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摩尼殿の舞台のこの場所を、黒衣の刺客(スー・チー)が歩くシーンが撮影されています。

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お茶屋さんで抹茶セットを頂きました。

 

今回はゆっくりと仁王門から摩尼殿、三之堂、奥の院と主な場所を散策してみました。約2時間かかりましたが、軽快な方なら1時間ちょっとで回れそうです。

 

姫路のボランティアガイドの方に聞くと、11月中旬から12月上旬が紅葉のシーズン。特に11月末には「書写山もみじまつり」があり、普段未公開の宝物も見ることができるそうですよ。

 

JR・新幹線、山陽電鉄の「姫路駅」からバスで28分、書写山ロープウエイでたった4分で、雑念と喧騒に包まれた日常から清らかな信仰と歴史の世界に浸ることができる書寫山に到着できます。是非、散策してみてはいかがでしょうか?

 

名称:書冩山圓教寺(えんぎょうじ)
住所:兵庫県姫路市書写2968
公式サイト:http://www.shosha.or.jp/

 

※新幹線も停車する姫路駅からは「神姫バス+書写山ロープウエイの往復セット券」(大人1,300円、小人650円)もお得で便利です。
※自動車の場合は、書写山ロープウエイ乗り場近くに277台分の駐車場がありました(無料)
※上記は2015年8月時点の情報となっています。

播磨翁播磨翁

兵庫県の播磨国に在住。ワクワク出来る歴史旅をご紹介できれば幸いです。個人的には謎がありそうなディープな歴史が好きです。

 

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